インタビュー

ブッダの瞑想法――その実践と「気づき(sati)」の意味(4)最終回

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――慈悲の瞑想が進んで自我の錯覚が消えていくと、どんなことが起こるのでしょうか。

そうですね。お釈迦様は増支部経典のなかで「慈悲の瞑想」の功徳として、11項目を挙げておられます。

1.安眠できます。
2.気持ちよく目覚められます。
3.悪い夢を見ません。
4.人々に愛されます。
5.人間以外の生命に愛されます。
6.神々によって守られます。
7.火災、中毒、武器などの被害を蒙りません。
8.すぐに心が落ち着いて集中できるようになります。
9.顔色が明るくなります。
10.こころ乱れずに死ぬことができます。
11.この世で阿羅漢になれなくとも、死後は梵天に生まれます。

「慈悲の瞑想」をすると、安眠できて、気持ちよく目覚められる、あと、悪い夢を見ない。周りの人たちに愛される。それどころか、人間以外の生命や神々からも愛されます。火災や災害など、あるいは毒とか武器などの被害を受けないとも言われています。ちょっと神秘的にも感じますけど、これは「精神的なダメージを受けない」という意味に取ってもよいでしょう。例えば、津波で家が流されたとしても、慈悲の瞑想をやって、無量心を育てている人は、精神的なダメージをそんなに受けない、ということですね。

また、今すぐに心が落ち着いて集中できるようになる。禅定に入りやすくなる、とも説かれています。これは、まあ、当たり前と言えば、当たり前の話です。自我意識なしに一切の生命に友情の気持ちを抱いているわけですから、心はとことん落ち着いてきますよね。すぐにパニックになったりしないで、いつも心が落ち着いて精神集中もできるようになる。それから顔色が明るくなる。周りの人からも魅力的な感じの、顔色が明るい人間になれる。

それから心乱れずに死ぬ事ができます。日本のお寺でも「ぼけ封じ」のお守りを売っているところは多いですが、そんなものに頼るよりはよっぽど効き目があると思いますよ。で、最後は、この世で阿羅漢になれなくても、死後は「梵天」、ブラフマンという、インドでいう最高神の境地に生まれ変われますよ、と。ですから、仏教の解脱の境地なんか興味ない、という人でもやってみて損はない瞑想です。

これは、お釈迦様が仰っている「慈悲の瞑想」の功徳、御利益です。こんなふうに御利益を強調されることは、他の瞑想法に関してはそんなにはありません。ですから、お釈迦様はこころから、「慈悲の瞑想」をたくさんの人々に実践して欲しいと願っていたんでしょうね。

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