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レポート「ことば×マインドフルネス」

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山尾三省詩集『びろう葉帽子の下で』から一編の詩を朗読するアシスタントのみほさん

そして不立文字に立ち戻って、つぎのような説明をしてくれた。
「文字だけを見て、文字によって処理するということは、我われがいつもやっていることです。考えというのは、記憶を組み合わせたものです。考えることは〈思考から思考へ〉という世界になるわけです。
だけど一端沈黙して、今、ここに起こっている呼吸とか、今、聴いている、見ているということへの気づき、そういった気づきという沈黙の中で立ち上がってきた“ことば”を思考に移すと、さきほどの〈思考から思考へ〉行く世界とは違う〈沈黙(涅槃)から思考へ〉が体験できるはずです。
」。

「だから一端、呼吸に戻ること、耳を澄ませること、注意深く、ものごと一つ一つを体験することは大切です。マインドフルネスの体験は、沈黙の中で起こっていることなのです。一端止まってみるということなのです」。

「それは、今ここでもできるでしょう? 眼を閉じて、ちょっと自分に耳を澄ませてみてください」。

(マインドフルネス・ベルの美しい音色が視聴覚教室に静かに鳴り響く)

――息が入ってくる、出ていく。そして自分は、身体の中で何を感じているか、自分が心の中で何を感じているか、そこからふっと眼を開いて外の世界を体験しましょう。そして、そこから言葉を発します。人の言葉を聴いていくのです。

「この水の世界、涅槃、沈黙の世界から体験してみてください。

わたしたちは頭の中でいつもグルグル考えていて、思考でもって思考を受け止め、また思考から思考を生み出します。でもやはりそれは、それこそただの “文字”にしかならないのです。

不立文字ということは、マインドフルネスな沈黙の世界から、湧きあがって来るものを捕まえるということなのです。

そして最後に「月を差す指」という喩えを紹介してくれた。

「ここで言う月は、涅槃の世界です。人は月を差す指ばかり見て月を見ません。指は“ことば”だと思ってください。語られた“ことば”ではなく、ことばが差し示している月(沈黙の、涅槃の世界)を見なさい、という教えなのです」。

ことばはあくまでも指標だ。それが差し示している世界は一体なんだろう。ことばを使って、じつは深遠なる沈黙の世界を差し示しているのだということを、きょう筆者は学んだ。マインドフルネスとは、沈黙の中から立ち上がる“ことば”に耳を澄ませることでもあったのか――。

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