――ティク・ナット・ハン師との出会いはどのようなものでしたか。
ティク・ナット・ハンとの最初の出会いは著作によってです。90年代の初めのことでした。当時、僕は中米パナマからワシントンDCまで歩いて巡礼するプログラムに参加していたのですが、彼の本がアメリカでバカ売れしている光景を目の当たりにしました。というのも、アメリカではティク・ナット・ハンとその弟子たちによる定期的なツアーが行われたりして、アメリカ人が強い関心を持ち始めていたからです。
もともとティク・ナット・ハンという方は、ベトナムからフランスに亡命してプラムヴィレッジを始めたのですが、その頃からアメリカに招聘されていたのです。あちこちでリトリート(合宿型の瞑想会)をやったり、講演会を開いたりしていました。
また、出版社もカリフォルニア州・バークレイ(Berkeley)にありまして、ティク・ナット・ハンの著作がたくさん出版されていました。これが90年代に入った頃からものすごく売れ始めた。僕がアメリカの書店で見たのは92年でした。都会の大きな書店に行くと平積みになっていて、仏教書コーナーは、ダライ・ラマとティク・ナット・ハンの本ばかりでした。僕はダライ・ラマはかろうじて知っていましたが、ティク・ナット・ハンは人づてに名前だけは聞いていた程度です。
初めて彼の著作を見たのは、中米のグアテマラでした。そこでアメリカ人の仲間がティク・ナット・ハンの本を紹介してくれたのです。それを見たとき僕は、今まで見た仏教の本とはだいぶ違うタイプの本だ、と強く惹かれたのを覚えています。
――その本の内容は、どんなものだったのでしょうか。
そこには「歩く瞑想」のことなどが書いてありました。もちろん、その瞑想の実践のし方も書いてありました。「一歩、一歩。足の裏を感じながら、呼吸と足の裏の感覚に気づきながら歩みなさい」。一歩一歩、そのつどそのつど、歩みを確認しながら気づいていく。そしてそれは、人生の歩みになぞらえて語られていくのでした。
……将来の何かを目指すことによって「今ここ」がおろそかになることなく、むしろ「今ここ」に意識を集中することで、先のこと、その何もかもが「今ここ」の連続として、立ち現れてくるような歩みを続けなさい、そんな語り口でした。
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