インタビュー

ティク・ナット・ハン「マインドフルネス」が上陸した日

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――ティク・ナット・ハンの印象はいかがでしたか。日本の社会ではどのように受け入れられたのでしょうか。

ティク・ナット・ハンの語り口は、フランスに亡命して主にクリスチャンの西洋人に法を説くという、特殊な環境でのそれなのです。クリスチャンでもわかるような教え方をするということで、だいぶ語り口が違う。それが日本の同じ臨済宗のお坊さんが書いたものと比べるとまったくと言っていいほど違った印象を与えるのです。

ぼくらはすごくそれがいいと思っていたわけです。というのは、いわゆるカリフォルニアの新しい潮流、「プロセス指向心理学(Process Oriented Psychology)」など、カリフォルニア系の新しいスピリチュアルの潮流の洗礼を、われわれは受けていたわけですよ。

とくに80年代、そういう文化がどんどん日本に入ってきて、その波に乗って、ティク・ナット・ハンっていう人がいるよ、ということになり、当時、われわれのような若者はすぐに飛びついたわけです。

――ティク・ナット・ハンを受け入れる、日本の状況はどのようなものでしたか。

当時、書店には「精神世界」というコーナーがありました。そのコーナーには、オウム真理教の本もある、新宗教もある、多岐に亘っての品揃えでした。そこへティク・ナット・ハンの本も置かれたという訳です。どちらかと言えば仏教書より精神世界のほうに親和性があったという覚えがあります。

「精神世界」のコーナーに惹かれる若者は、ティク・ナット・ハンの著作を見て、『ビーイング・ピース』って何? 社会運動と瞑想を一緒にするってどういうこと? と、心惹かれていったのです。僕らの心づもりとしては、著書が一般受けすることを目論んでいたのですが、そうでもありませんでした。いわゆる仏教や瞑想に深く関心をよせる人が主な読者層でしたから。

そうこうしているうちに、来日がやってきました。しかし、来日する直前に、あのオウム事件のニュースが流れたのです。

――1995年3月20日が、オウム真理教のサリン事件ですよね。同じく3月には、教団への一斉捜索が行われ、5月には、松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚が逮捕されていますね。

びっくりしましてね。しかも1月には神戸の阪神淡路大震災でしょう。「これちょっと来日、大丈夫かな。まずいなあ」と。すごく打ちのめされたし大変でした。

大阪のメイシアター、それから比叡山でもそうだし、東京では、よみうりホール。またいくつかリトリートも計画していたのでやめるわけにいかない。大きな会場も押さえてしまっている。いずれにせよ、既に後には引けない――よし、やろう、と。

その頃は、ティク・ナット・ハンは、まだ小さな単位で動いていていました。総勢10人ぐらいのグループで初来日されて、まず神戸在住ベトナム人被災者のお見舞いに行って、その足で大阪から京都、そしてずっと東の方に回ってきたわけですね。それがゴールデンウィークから5月いっぱいの3週間のツアーでした。

 

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