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雪たのしわれにたてがみあればなほ 桂 信子
「ほら! 雪」
空から白いものがちらちらと降ってくると、何かワクワクとした感情が湧き起ってくるものです。雪は、まるで天からの贈り物のように感じられます。そこで雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりしますよね。
もし、自分にライオンや馬のように鬣(たてがみ)があったならば、雪が舞い降る雪原のなかを思う存分に走り回りたいというのです。雪はそれくらい楽しいもので、童心にしてくれます。そうした自分の「心の動き」に気づき、こんな楽しい俳句にしてしまう桂信子さんはなんて素敵な女性かと思います。
この作者は、
窓の雪女体にて湯をあふれしむ 桂 信子
という句も作っております。浴室の窓の外には雪が降っています。今、自分は室内にあって暖かいお風呂に入っているのです。たっぷりと湯が張られた浴槽に身体を入れると、お湯は浴槽をどっとあふれてゆくのです。そこに豊かな量感の女性の身体を感じさせてくれます。
忘年や身ほとりのものすべて塵 桂 信子
年末になって自分の身のまわりを眺めると、買ったのに読まなかった本や雑誌、着古した洋服、きれいなお菓子の箱や包装紙、まだ使えるかもしれないと思っている品々、捨てられない物で部屋があふれかえっているのです。それらの物は、「すべて塵」であると断定し、「断捨離」できない自分を客観的に眺めているのです。その「気づき」が俳句になったのです。
そんななんでもない日常の景色に新たな光を当てて、平明な言葉で表現してみせてくれているのです。
* * *
私たちは春夏秋冬の移ろいのなかで暮らしています。俳句は、悠久の時間の流れのなかにあって「いま」という時間と、私たちの目の前に広がっています空間における「ここ」という断面を切り取って詠みます。
芭蕉は、「物の見えたる光、いまだ心に消えざるうちにいひとむべし」と言っております。この「物の見えたる光」に気づき、それを受け止めて十七音にしてゆくのです。 そして、「物の見えたる光」を受け止めるには、正しく見るということが必要になってくると思います。それを俳句として正しく語ることよって心が解放されていくのです。
石嶌 岳(俳人)
出版社:春陽堂書店
定価:本体777円+税
発行日:1992年5月