画像・AdobeStock
いつか欲し書斎に芙蓉見ゆる家 小川軽舟
芙蓉は、朝に白い五弁の大きな花を咲かせ、夕方になると淡い紅色になってしぼんでゆきます。そんな芙蓉の花が見える書斎をいつか持ちたいと思っているのです。マイホームを夢見ているのですね。みなさんもきっとあるでしょうね。リビングから富士山が見えるマンションがいいよねとか、和室には炬燵でほっこりよね、とかいろいろありますよね。そんなことを思うのもいいですね。でも、今は転勤先の借家住まいなのです。
朝顔蒔く転勤先の借家かな 小川軽舟
その借家住まいの家の庭でしょうか、賃貸マンションのベランダのプランターなのでしょうか、朝顔の種を蒔いているのです。
職場ぢゆう関西弁や渡り鳥 小川軽舟
そう、作者は東京から関西に単身赴任をしているのです。会社の仕事場では、関西弁(大阪弁)が威勢よく飛び交っているのです。そんな職場にぽつんと落下傘のように、また渡り鳥のように一人舞い降りたのです。そのとき、なにか異質感が全身を駆け巡ったことでしょう。
レタス買へば毎朝レタスわが四月 小川軽舟
単身赴任ですからレタス一個を買って帰れば、毎日朝食にレタスのサラダとトーストを食べて出勤するのです。そんなちょっとしたことに目を留めているのです。
また、遅刻しそうなときは、満員電車の中から「会社に着くのが遅れます」とメールを打つのです。
遅刻メール梅雨の満員電車より 小川軽舟
朝の通勤の満員電車は鬱陶しいですよね。梅雨のジメジメとしたなかですからなおさらです。ストレスが溜まります。
そんな単身赴任の生活ですが、週末には家族に会いに行くために上京するのです。
古扇子家族に会ひに上京す 小川軽舟
東海道新幹線の車内の座席に座って、使い古した扇子であおいでいるのです。そして、たまには奥さんがご主人の様子はどうしているかなと偵察に関西にやって来ることもあります。
妻来たる一泊二日石蕗の花 小川軽舟
久しぶりの妻との団欒です。ほっとしますよね。
サイダーや有給休暇もう夕日 小川軽舟
僕はと言ふ上司と梯子年忘
もちろん有給休暇はあっという間に過ぎてしまうし、上司との飲み会にも付き合わなくてはなりません。サラリーマンの哀愁が滲み出ています。
そうした単身赴任の生活で気づいたことを、日記を書くように俳句にしていっているのです。俳句を書くことによって自分が見えてくるのかもしれませんね。
関係ないだろお前つて汗だくでまとはりつく 小川軽舟
平成から令和になった今、「かつての標準がもはや標準でなくなっていることに気づいた。私の平凡な人生は、過ぎ去ろうとする時代の平凡だった。だからこそ書き留める意味もあるだろう」と、作者は句集『朝晩』のあとがきに述べております。そこには「いま」「ここ」の日常に対する気づきがあります。
* * *
私たちは春夏秋冬の移ろいのなかで暮らしています。俳句は、悠久の時間の流れのなかにあって「いま」という時間と、私たちの目の前に広がっています空間における「ここ」という断面を切り取って詠みます。
芭蕉は、「物の見えたる光、いまだ心に消えざるうちにいひとむべし」と言っております。この「物の見えたる光」に気づき、それを受け止めて十七音にしてゆくのです。 そして、「物の見えたる光」を受け止めるには、正しく見るということが必要になってくると思います。それを俳句として正しく語ることよって心が解放されていくのです。
石嶌 岳(俳人)