気づきの俳句

『気づきの俳句──俳句でマインドフルネス──』(10)

石嶌 岳
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画像・AdobeStock

雁帰る[さら]はれたくもある日かな        大石悦子

春に雁が北へ帰ってゆく日などは、誰かが来て自分をどこかへ攫っていってしまってくれないだろうか、というのです。白馬の王子様が来て連れて行って欲しいというような女性ならではの心理なのでしょうか。または、鬱屈した心から解放されたいという願いなのでしょうか。雁が飛んで帰ってゆくという景色を見ての一瞬の心の動きに気づいたのです。つまり、帰雁という眼前の景色が、心の奥にあるものを引き出したのであります。

雁渡しいのちいつさい吹かれをり       大石悦子

この句も雁に関するものですが、「雁渡し」とは、雁が日本に渡って来る秋に吹く風のことです。そんな雁渡しに自分のいのち一切が吹かれ飛んで行ってしまいそうだというのです。自分のいのちの傷みを感じさせてくれています。

てふてふや遊びをせむとて吾が生れぬ     大石悦子

蝶々が無心に飛び回っているのを見て、悠久の時間のなかでほんのひと時をこの世に生れてきたことを思っているのです。平安時代の歌謡集『梁塵秘抄』にある「遊びをせむとや生まれけむ戯れせむとや生まれけむ」を下敷きにして詠まれております。この句も飛び回っている眼前の蝶々を見ての心の動きが句になっております。

蕪村忌の京に一日を遊びけり         大石悦子

江戸時代の俳人・画人の蕪村が亡くなったのは十二月二十五日です。この日に作者は、江戸時代の遊郭のあった京都島原の「角屋」で丸一日遊んだのです。何して遊んだかといいますと、十数名の人たちと俳句を作ってはお互いの俳句を読み合って遊んだのです。「島原蕪村忌大句会」という俳句会です。私も一度参加させていただいたことがあります。

亀鳴くや詠ふとは虚に遊ぶごと        大石悦子

春の夕べにどこからともなく聞こえてくる声を亀が鳴いていると興じたところから、「亀鳴く」という季語が生れたのです。実際には亀は鳴かないそうです。そのように虚の世界に遊ぶことが、俳句を詠むことの本来の精神だというのです。

大石悦子は、「悲しみが言葉となり、俳句のかたちになることで、魂が救済される思いがした」と『自註現代俳句シリーズ・大石悦子集』のなかで述べております。俳句を詠むことで救われるという思いがすることがあるのですね。

この寺の花守ならばしてみたし        大石悦子
百済野の春の大きな夕日かな         大石悦子

 

*  *  *

私たちは春夏秋冬の移ろいのなかで暮らしています。俳句は、悠久の時間の流れのなかにあって「いま」という時間と、私たちの目の前に広がっています空間における「ここ」という断面を切り取って詠みます。

芭蕉は、「物の見えたる光、いまだ心に消えざるうちにいひとむべし」と言っております。この「物の見えたる光」に気づき、それを受け止めて十七音にしてゆくのです。 そして、「物の見えたる光」を受け止めるには、正しく見るということが必要になってくると思います。それを俳句として正しく語ることよって心が解放されていくのです。

石嶌 岳(俳人)

大石悦子集 自註現代俳句シリーズ11期59
著者:大石悦子
出版社:公益社団法人 俳人協会
定価:本体1,200円(税込み)
発行日:2014年1月
季語別大石悦子句集
著者:大石悦子
出版社:ふらんす堂
定価:本体2,600円+税
発行日:2017年12月
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