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吹きおこる秋風鶴をあゆましむ 石田波郷
一羽の鶴がジッと立っているのですが、そこへ爽やかな秋風が吹いてきたのです。すると鶴はゆっくりと歩み始めたというのです。作者はそれを見て、秋風が鶴を歩ませていると見て取ったのです。
雁や残るものみな美しき 石田波郷
雁が空を飛んで行っているのを見て、この地に残ってあるものはみんな美しいというのです。草も樹も、山も川も、みんないのちがあることに気づいたのです。そのときすべてのものが愛おしくなってきたのです。波郷は、この句を作った昭和18年に召集令状を受け取っております。そのときのことを波郷は、「その瞬間から人も物もすべてが美しく見え、思えて仕方がない。日本人の心の美しさはこれだと思った」と言っております。
意識が変わると、ものの見方が変わるのです。
戦地で肺結核を患い、清瀬の国立東京療養所に入院して、右肋骨四本の切除を伴う手術を受けるのです。
たばしるや鵙叫喚す胸形変 石田波郷
そして、自分のいのちを見つめるのです。
七夕竹惜命の文字隠れなし 石田波郷
その後、退院し、軽井沢などにも遊びに行けるようになります。でも肺活量が少ないため、ゆっくりとしたペースでしか歩けないのです。みんなとは後れてゆく自分を見つめて句にしています。
泉への道後れゆく安けさよ 石田波郷
雪降れり時間の束の降るごとく 石田波郷
次から次へと降ってくる雪を見て、それはまるで時間が束となって降ってくるようだと思ったのです。雪から導き出された時間への気づきです。そして、時間の集積である自分の一生へと想いを馳せていきます。
今生は病む生なりき鳥頭 石田波郷
石田波郷は、「肉体の呼吸と共に常に精神の気息をもたらすのが作句の心である」と言っております。
我、いま、ここにおいての思いが一句に込められているのです。
また、「俳句を作るといふことは取りも直さず、生きるといふことと同じなのである」とも言っております。
今年は石田波郷没後50年になります。その「石田波郷回顧展」が俳句文学館(新宿区百人町)で11月24日まで開催されております。
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私たちは春夏秋冬の移ろいのなかで暮らしています。俳句は、悠久の時間の流れのなかにあって「いま」という時間と、私たちの目の前に広がっています空間における「ここ」という断面を切り取って詠みます。
芭蕉は、「物の見えたる光、いまだ心に消えざるうちにいひとむべし」と言っております。この「物の見えたる光」に気づき、それを受け止めて十七音にしてゆくのです。 そして、「物の見えたる光」を受け止めるには、正しく見るということが必要になってくると思います。それを俳句として正しく語ることよって心が解放されていくのです。
石嶌 岳(俳人)