インタビュー

ティク・ナット・ハン「マインドフルネス」が上陸した日 その3

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日本の宗教的感性は、たとえば仏壇があって仏様を拝んだり他力として頼るというような、大乗仏教の中で育ってきた感性です。曹洞宗だったら、只管打坐とかありますが、あまり細かいテクニックにこだわるよりも、ただ坐ってたとえば、「あなたは仏です」という仏性に基づいた教えに任せていくとか。浄土宗だったらすべて阿弥陀様にお預けするとか。どちらかというと、日本人の仏教の感性というのは、大きなものに依るとか、預けるとか、そういう雰囲気の中で育ってきたというのはあると思うのです。

テーラワーダ仏教ももちろん、ブッダなどの大きな存在を前提としているけれども、修行法は非常に細かくて精緻な体系的なことをやって、そして階梯がある。それによって修行してゆくわけです。

ティク・ナット・ハンのようにその両方を修行している人は――大乗から来ている北方の流れ、阿弥陀如来、浄土も入ってきていますからね、中国から。そして、臨済という(ティク・ナット・ハンはベトナム臨済宗(竹林派・柳館派)の法嗣)大乗禅も入ってきている。同時にテーラワーダ仏教の、精緻な研ぎ澄まされたようなテクニックや世界観も、南方から入ってきているわけです。それらが出会ってミックスしているので、ベトナムの臨済宗ではテーラワーダ仏教の要素を取り入れた修行もするけれども、実際にベースになっているのは大乗なのです。

そして面白いことに、浄土宗の阿弥陀如来への信仰も混ざっています。ティク・ナット・ハンが面白いのは、阿弥陀様の話もします。そういった浄土信仰も混じりながら、テクニック的には、臨済禅の公案のようなこともやるのです。

翻訳者である島田氏自身によりティク・ナット・ハン師の偈文の朗読を聞かせていただく

『ブッダの〈呼吸〉の瞑想』は「アーナーパーナ・サティ(出入息念経)」の解説書ですが、そうしたテーラワーダによって伝承され実践されている最古層の仏典についても、ちゃんとした解説をし、ご自身もそれによって修行をしてきたのです。

この本には最初に面白いことが書いてある。これはテーラワーダの本では絶対にあり得ないことなんですよ。

これです。

ティク・ナット・ハンが韓国に行ったときに、街中で歩く瞑想をしたというエピソードが「まえがき」に載っています。人気があるので人が集まって来て、渋滞してしまってどうにもできない。途方に暮れた彼がどうしたかというと、ブッダにお願いしました。「ブッダよ、来てください」。ブッダを呼んでブッダに歩いてもらったといいます。そのとき、「人々は道を開けて彼(ブッダ)をお通ししたのです」と書かれています。

これは絶対にテーラワーダ仏教では言わないことでしょう。続いてこうも言います。「このことを忘れないために、いくつかの偈(ガーター)をつくりました」と。

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