インタビュー

ティク・ナット・ハン「マインドフルネス」が上陸した日 その4

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——もう少し、心のからくり、またその処し方について、具体的に教えていただけますでしょうか。

タイで出家した日本人僧、プラユキ・ナラテボーさんが、仏教の三毒「貪瞋痴[とんじんち]」を、子どもの虐待になぞらえて言っています。とてもわかりやすい説明でしたので紹介します。

過干渉になる、これは貪り。
逆に怒りでもって否定する、これは瞋り。
ネグレクトする、無視する、これは痴です。

この三毒は子育ての上において、ぼくにも息子がいますが、注意して自己観察すると「あ、この3つをやってしまっているな」とわかってきます。子育てもそうだけれども、自分の心に対してそうだし、人に対しても当てはまる、苦を生む心の現れ方です。

ですから、自分の心を扱うに際しても過干渉になる——心に「こうなってほしい」「ああなってほしい」「もっと楽になってほしい」と要求したり、あるいは怒りをもって否定して、「そんな心ではダメ、怒っちゃダメ」と、さらに怒りを重ねたりする。かといって鈍くなって心を閉じ、無視するのでもない。ちゃんと寄り添いながら、この三つ(「貪瞋痴」)に注意しながら見守るということになります。これがまさに「マインドフルネス」ですね。

「ゆとり家」の床の間を背景に。左上にティク・ナット・ハン師の書が見える

注意深さと、意志と、非常なバランス感覚がいることですが、先ほど言いましたように気にし過ぎず、だけどちゃんと気にかけている。そうすれば自然に収まるところがあると思うのです。

現在マインドフルネスのブームが(こういう言い方をすれば)やってきました。それまで心に意識を向けていなかった人が、ブームだと思って急に心に意識が向き、「心はこうなっている」「マインドフルネスをやって楽にならなくては」と急にやり始め、いろいろな講座に行ったり、本を一生懸命読んだり——もちろんそれも必要です。そういうことがなければきっかけができませんから。僕もそうやって入りましたし。

ところがそうするうちに、「『私』が『これ』をやっている」という意識が過剰に亢進してくることが多々あります。自分へのこだわり・執着が強くなり過ぎ、気が頭に上がり、のぼせ頭痛がする、あるいは度を越してうつ状態になるという、古来言われている「禅病」がマインドフルネスにも起こりえます。

意思に反して執着が強くなってしまうのです。心を何とかしたいという思いが、かえって執着になる。そこら辺をスルッとうまく解除する工夫をしないといけません——禅僧はよく「〈私〉はない」とズバッと言うのですが、最初からズバッと言われても、日常意識とあまりにもかけ離れているので、わかりづらいところがあります。

僕は、講座などのアプローチは日常的にかみ砕いたレベルから始めています。自分自身が迷いに迷って[つまづ]いてきたところ、それは誰にも思い当たることですから、まずそこから振り返り、ではどうやって楽になっていくのか、というステップをていねいに踏んで行くわけですけれども、それは皆さんにも自ら体験して欲しくて……。

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