しかしその絶望の淵で、やがて、ソーシャルワーカーは回復を得ていくのですが、そのきっかけになったのが絶望そのもの、絶望して初めて、障がいを持った人たちの本当の苦しみが分かったということでした。
「こんな大きな苦しみの中にいたのだ」と思い到ったとき、彼らと〈つながれた〉。そう強く感じたそうです。
だからと言って、いいアイディアが生まれというわけではない。「こうすればいいんだ」という答えが見つかったわけでもない。ただ、彼らの苦しみが分かり、つながれたというのです。
〈絶望〉という完全に無力になった時に感じた〈つながり〉。
島田さん自身も、自殺未遂したりもしたが、自分の力ではなく助けられて〈絶望〉の淵から還ってきた、と言います。
完全に手放したとき、無力となった時に、そこに何か受け止められるものがあり、じつはそこでつながっていた。地下水脈のようなものがあって、そこで既につながっていた、そう思えたと島田さんは振り返ります。
ゆだね安心し、開ける世界
ブッダも、お城での生活の虚偽性への絶望、苦行の挫折、絶望、最後は法を伝えることへの絶望。その三つの絶望を経て、梵天からの説得から、サールナートでの説法に向かっている。
この三つの絶望を経て初めて、ブッダは〈苦しみへの共感〉という新しい転換を見出したのです。
〈絶望〉から開けてくる世界。それは、諦め、完全なあけ渡しから開けてくる世界とも言えるでしょう。
神さんも、プラムヴィレッジのサンガにおいてのシェアの時間でも、まったく救いもないし、どうしようもないままで、時として話は終わるのだけれども、でも一緒に涙を流した時に、そこにつながりを感じることが出来ることもある、そう言います。
ユーモアを交えながらも、教育者としての真摯な横顔が
「べつに何も変わらなくていいんだよ」。そういうことが確保されている上でのマインドフルネス。そこが「ゆだねて、安心して、つながっていられる」ところです。
「大地がすべてを受け止めてくれている。それがどんなことでも、いいことでも悪いことでも。弱さであっても強さであっても、そこには差別はなく、大地は受け止めてくれている。その事実とつながることが出来たら、ゆだねて安心していられる。大丈夫」。
最後に神さんが、最初に実践されたリラクゼーション・ワークの中で、島田さんが私たちに寄り添い、語り掛けてくれていたその言葉の振り返りをしてくださって、貴重な学びを終えることが出来ました。
両手を携え互いに助け合う感触を味わう大きな円座
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