ニュース・レポート

「日本仏教の未来(The Future of Japanese Buddhism)」ジョージ・タナベ ハワイ大学名誉教授講演

ジョージ・タナベ ハワイ大学名誉教授・佐々木閑 花園大学教授
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

タナベ ハワイ大学名誉教授の講演に耳を傾けるシンポジウム参加者

また、タナベ名誉教授は、特に大乗仏教の聖典のオープンな性格について他の宗教と比較しても非常にユニークであると述べ、「スタンフォード大学のポール・ハリソン先生が書いているように経典として機能している」と述べ、「真実と整合性があるものであれば、また、想像(imagination)の産物だとしても、ブッダの言葉としても受け入れることができるのだ」とハリソン先生の言葉を紹介されました。

また、ミシガン大学のドナルド・S・ロペス博士の書籍を紹介し、タナベ名誉教授は、「バイブルというのは聖書を意味する言葉です。その聖書という名前を使った『モダン・ブッディスト・バイブル』という書物は、仏教の聖典に関しても、近代の著者の注釈書も含めるべきだと書かれている」と話されました。

『モダン・ブッディスト・バイブル』の中に収められたものには初期の仏教の経典にないものも含まれており、その中で言及されている重要な書籍というものは全て19世紀、あるいは20世紀に書かれたものです。ヘレナ・P・ブラヴァツキー、ダルマパーラ、D. T. スズキ、アラン・ワッツ、アレン・ギンズバーグ、ティク・ナット・ハン、ダライ・ラマ、そして、その他の著者を扱っています。そしてその書籍の中で仏教を合理的かつ非唯心論的に説明をされていると言います。

タナベ名誉教授は、「こういった著者は実際には経典は書いていません。けれども彼らの言葉を『聖書』という入れ物に入れることによって、ロペス先生は、仏教の注釈書を神聖なもの、権威あるものと見做したということになります」と述べ、そして、「それらの仏教の解説が意味ある、真実のものであれば、想像(imagination)の産物であったとしても、ブッダの言葉として受け入れることができる」とのロペス先生の言葉を紹介します。

こういったオープンな意味で、「私たちは近代の書物や注釈書もまた経典とみなすことができるではないか」との将来の可能性についてタナベ名誉教授は語られます。「皆さんや私も、そしてそれ以外の多くの人たちも聖典を書くことができるのです。あるいは、既に書かれたものも、意味のある真実のブッダのメッセージとしてとらえることができます」。

再び、大乗経典の比喩の解釈を引用し、「私も先ほど提案しましたように、真実なるものをフィクションとして解釈し、慈悲(divine grace)というものを価値あるスターティング・ポイントとする。未来の仏教には新しい経典、新しい注釈書が必要です。それを『モダン・ブッディスト・バイブル』に加えてください。それを『令和新脩大藏經(れいわしんしゅうだいぞうきょう)』と呼んでもいいのかもしれません」とタナベ名誉教授は、現在に生きる私たちも未来の経典編纂に参加できるとの希望を述べられました。

最後に、タナベ名誉教授は、「仏教は過去の伝統に基づくものでなければいけないと固執するのであれば、仏教には未来はほとんどないと言えると思います。けれども過去の仏教が様々なあたらしい仏教を生み出した例にならうならば、カルマ、慈悲(divine grace)、夢、ファンタジー。こういったものにインスピレーションを受けて、新しいブッダの言葉を書いていくことができれば、仏教にも新しい未来があると思います」とタナベ名誉教授は結論づけられました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る