続く、ジョージ・タナベ名誉教授と佐々木閑教授の対談の中で、佐々木教授は講演を解説して、「今日の話の一番のメインは、これからの仏教、特に日本の仏教はどうあるべきか? そして、その仏教を実現するにはどのような方策が必要かというお話しだったと思います。ところがこの話を仏教学者が語りますと、昔の古い文献などを出してきまして、昔はこうだったんだと。だから今もこうしましょうと実現不可能な話をいたします。
一方、これをお寺のお坊さんが話をしますとたしかに今の日本の仏教は衰退している。なぜならばお寺に来る人の人数が少ないからだ。お布施が減っているからだとかいうことになります。これからの日本仏教をどうするかという場合に、日本の仏教教団が今の力をそのまま保って運営していくにはどうしたらいいかという話になってしまうんですが、今日は、どちらの話にもなっていない」と述べられました。
タナベ名誉教授の講演について感想を述べる佐々木閑・花園大学教授(向かって左)
「これはタナベ先生が本当に仏教のことを考えておられるからだと思います。教団はどうあるべきかではなく、仏教がどうあるべきかと考えておられるので今日のような話になったのです」として、タナベ名誉教授のお話に対して共感と賛同を表明されました。
そして、佐々木教授が、タナベ名誉教授の講演の最も重要なポイントとして、「大事なことはお釈迦様の教えというものと大乗仏教とは違うものではあるが、しかしながら、その根底に共通する一つの同じ理念があるということ。それが何かと言うと、我々は苦しんでいる存在なのであって、楽に生きている存在ではないという大前提です。一切皆苦。全てが苦であるという世界観の中で、我々がどうやってその苦しみから逃れるかというその一点にすべてを集中させて考えたというところに共通性がある。釈迦の教えも、この問題を乗り越えるための一つの道ですが、その後に出てきた大乗仏教もまた同じ目的に向かって、別の道を提示している、というのが、タナベ先生のお話の趣旨でした」とタナベ名誉教授の意図を解説しました。
「これからの日本の仏教がどうあるべきであるかということを考えた時には、その一番大元の仏教の原理を現代の社会で実現するにはどうしたら良いかという非常に明確な路線が出てくる訳であります。その時に聖典、経典の中で、仏教が我々に説く教えというものをどう捉えるかと言うことになる訳です。その時に昔ながらの、今の科学的な世界観では通用しないような世界をいくら、繰り返し言っても、伝統という名の元でそれを繰り返しても、それは今現在の人達には、もう通用しないのです。しかしながら、それでも私たちは、今、苦しんでいる訳ですから。今の現代における我々の苦しみを削るような新たな仏教の聖典というものが必要なのです」。
その上で、「その聖典の本質は何かというとやっぱり慈悲(grace)です。それと自分を鍛える自己鍛錬による煩悩の消滅という仏教の二つの側面を兼ね備えたような新たな聖典というものを、我々は、必要としているのです。そして、現代の仏教者は21世紀に通用する新たな仏教聖典というものを釈迦の教えをベースにして作っていく必要があるでしょう」というタナベ名誉教授の主張に対し、「それがたいへん私の心に響いているのです。全くその通りだと私も思っております」と佐々木教授は講演の感想を締めくくりました。
出版社:佼成出版社
定価:1,845円+税
発行日:1990年10月20日
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