静かな晩年
高い山の上に築かれた岐阜城(写真提供・PIXTA)
秀吉が亡くなって2年後のこと、天下分け目の戦いといわれる関ヶ原の合戦が行なわれています。
このとき応其は、徳川方についていた伊勢(三重県)の安濃津城と美濃(岐阜県)の岐阜城で籠城する武将を説得して開城させています。
応其は、豊臣方の大軍に包囲されたままであれば、やがて籠城する将兵は流さなくてもよい血を流すばかりか、多くの命が失われることを心配したのです。
ところが関ヶ原の合戦で勝利した徳川方は、そうした応其の態度が敵に味方したと映ったのです。
これに対して応其は、弁明書を書いています。そこには、
「人の命を助けることは、百千の堂塔を建立する功徳にもまさるものである。そう考えて開城を説得したのである。
これまでの人生を顧みると、寺社の修造も大方なしとげ、大仏殿の建立にも尽力した。いずれも人とともに無上の菩提のためと思ってのことである。いま身は木食草衣で、浮き世への執心はまったくない。ただ静かに余生をおくりたいだけである」
応其は、青巌寺と興山寺を弟子にゆずると、高野山をおりて近江の飯道寺に隠退します。
高野山を戦火から救い、数多くの業績を残した応其は、慶長13年(1608)、73歳で亡くなったのでした。
作家
武田 鏡村(たけだ きょうそん)
1947年、新潟県生まれ。作家、日本歴史宗教研究所所長。主な著書に『良寛 悟りの道』(国書刊行会)『一休』(新人物往来社)『「禅」の問答集』(河出書房新社)『名禅百話』(以上、PHP文庫)『親鸞 100話』(立風書房)『親鸞』(三一書房)『般若心経』(日本文芸社)『清々しい日本人』『図解 五輪書』『決定版 親鸞』(以上、東洋経済新報社)ほか多数。
バックナンバー「 日本仏教を形づくった僧侶たち」