差別社会への挑戦
ここで残念ですが、ひとつ日本の仏教の汚点を指摘しなければなりません。
それは忍性が生きた鎌倉時代でも、癩病はその人の前世や現世の罪業ゆえに被った仏罰であるとされて、ことごとく忌みきらわれていたからです。
癩病になると、家族や親族、世間から見放されて、非人宿に入れられました。
奈良坂や京都の清水坂には、そうした非人宿があって、身障者や非人といわれる人々が非人長吏の支配下におかれて、物乞いや葬送の手伝いなどをして、露命をつないでいました。
奈良坂からは、市中の東大寺が見える
忍性は、そうした非人宿の癩病者で、足腰が動かなくなって、物乞いすらできなくなった人たちに対して献身的に尽したのです。
ところで、癩病は現在では完全に治癒しますが、顔面がくずれるといった後遺症や、長年つちかわれた恐れによる差別意識のために、いまだ偏見視されていることは、残念でなりません。
その差別観をはびこらせた元凶のひとつが、仏教の輪廻観、つまり人間は生まれ変わるというもので、癩病などを前世の宿業として見たことでした。
たとえば、前世で人を殺したり、盗みや邪淫や放埓なふるまいのあった者は、癩病という現世の報いをこうむる、と考えたのです。
また現世の行ないが、原因とされた例もあります。
『今昔物語』の中には、比叡山の僧が、高貴な僧に嫉妬して、法会を妨げたりしたので、その報いで癩病になったという話があります。この僧は、比叡山から追放され、行くあてもなく、ようやく清水坂にたどり着いて、三日ほどで亡くなったといいます。『今昔物語』の作者は、「嫉妬は、これぞ天道が憎みたまうことなり」という寸評を加えています。
当時では、癩病になるのも、不具の身になるのも、すべては仏による罪罰の表われだとしていたのです。
ところが本来の仏教は、万人平等の教えが基本であって、いっさいの差別を排除する信仰です。
それにもかかわらず、仏罰、天罰だという表現で、多くの人を差別していたのです。これは現在では、決してあってはならないことです。
こうした仏教の矛盾の克服に挑戦したのが、忍性であり、師の叡尊であったわけです。
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