中国で知った禅の本質
さらに道元の禅心を開かせたのが、天童山景徳寺で出会った老人の典座です。強い日差しの中で、老典座が茸を干していました。道元は「どうして若い人にやらせないのですか」と尋ねました。すると、
「他はこれ、吾れにあらず」
(他の人がすることは、自分のものとはならない。それでは自分の修行にはならない。それが自分の務めなら、人まかせにすることなく、自分が行なってこそ自分が活かせる。そこに自分の生命の発現があり、生きることへの充実がある)
と答えました。また道元が「こんな炎天下でしなくてもよいのでは」と尋ねると、
「更に何の時をか待たん」
(今やらなくて、いつやるというのか。そのうちにと時に甘えてはならない。今しなければならないことは、速やかにその場でやることが禅道である)
と応じたのです。日常のことであっても、前向きに主体的に取り組むことが、禅の本質となるものであると道元は知ったのです。
すべてのことが禅道であり、それが仏道を修することであると道元は悟ります。道元は各地の禅寺を歴訪しますが、当時の禅寺は政界と結びついて世俗化の一途をたどっていました。純粋な求道心にもえる道元は、中国の禅界に失望してきます。
ところが天童山で如浄という禅匠と出会い、その厳しい指導に感激して、坐禅の修行に徹しています。そして、ついに、
「参禅は、すべからく身心脱落なるべし」
と悟りを開き、如浄から禅法を相承して、5年にわたる留学をおえて帰国しています。
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