過酷な弾圧と分裂
それにもかかわらず、不受不施の教義を主張する人は、あとを断たなかったのです。
寛文5年(1665)、寺院統制を強める幕府は、寺ごとに不受不施の教義を奉じないという誓書を提出させました。
ところが下総(千葉県)の妙興寺の日講は、この命令を拒否して、久遠寺の「受不施」派と対立しました。
受不施派とは、「布施は受けるが、施しはしない」という立場です。
ついに幕府は、日講を日向(宮崎県)の佐土原に流したのでした。日講は、配所にいること33年、自説をくつがえすことなく、その地で没しています。
このあと不受不施派は、幕府の苛酷な弾圧を受け、それを説く者は、ことごとく流罪にされたのです。
しかし、不受不施を信奉する人たちは地下にもぐって、純粋な法脈をかたくなに守りました。これが「内緒題目」といわれるものです。
幕末の天保の法難では、全国におよぶ大がかりな検挙が行なわれ、その間に堯了派といわれる今日の不受不施派と、講門派に分裂しています。
徳川幕府が倒れて、明治9年(1867)になって、ようやく日奥が説いた不受不施派は認められました。
しかし、250年にもおよぶ弾圧の間には、その法脈は弱まり、現在では岡山県岡山市御津町にある妙覚寺が一寺あるのみとなっています。
作家
武田 鏡村(たけだ きょうそん)
1947年、新潟県生まれ。作家、日本歴史宗教研究所所長。主な著書に『良寛 悟りの道』(国書刊行会)『一休』(新人物往来社)『「禅」の問答集』(河出書房新社)『名禅百話』(以上、PHP文庫)『親鸞 100話』(立風書房)『親鸞』(三一書房)『般若心経』(日本文芸社)『清々しい日本人』『図解 五輪書』『決定版 親鸞』(以上、東洋経済新報社)ほか多数。
バックナンバー「 日本仏教を形づくった僧侶たち」