日本仏教を形づくった僧侶たち

「叡尊」―厳格な戒律を重んじながら貧民救済に命をかけた僧侶―

作家 武田鏡村
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鎌倉幕府から手厚い保護

四天王寺

四天王寺(大阪市)

一方、叡尊は昔のように厳しい戒律による仏教界の回復をはかろうとしたため、それが体制の秩序を保ちたい鎌倉幕府の意向と合致していきます。

すでに弟子の忍性は、関東に赴いて叡尊の戒律の伝法を広めて、幕府から手厚く保護されて、鎌倉で極楽寺[ごくらくじ]の造営を行なっていました。幕府を預かる北条時頼[ときより]らは、叡尊を鎌倉に招請したいと考えたのです。

鎌倉に赴いた叡尊は、幕府の要人や御家人[ごけにん]など数多くの人々に戒律をさずけたと同時に、殺生禁断の地を拡大することができました。将軍となる宗尊[むねたか]親王などは、生きた貝を海に放って、生類[しょうるい]を食べないと誓ったほどです。

また称名寺[しょうめいじ]という寺に住むように勧められますが、これを固辞して無縁の寺であった釈迦堂[しゃかどう]に住しています。鎌倉の滞在は、わずか半年余りでしたが、道俗や貴賤の人びとは、数多く叡尊の法会に参加したのです。

同時に、やはり最下層の人々や病者にも食を与え、法会を行なって救済をしています。そして鎌倉幕府から叡尊の活動は公認されたばかりか、手厚い保護をうけることになったのです。

叡尊は、幕府の地頭[じとう]や名主層から多くの帰依[きえ]をえたばかりか、朝廷からも、その活動は尊崇されるようになっていったのでした。そして各地に西大寺を本山とする寺院が造られるようになっていきます。

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