目からウロコの仕事力

自らを省みず、使命を成し遂げる―「不惜身命」

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医療機器の写真

画像・AdobeStock

香港を救った日本人への感謝「青山公路」

海外で活躍している日本人は多く、グローバル化のさらなる進展とともに、これからますます増えていくと思われます。

私はかつて香港に6年住み、香港のお客さまのために銀行で仕事をしてきましたが、そのおかげで香港の歴史や文化を深く知ることができました。そのなかで、私がとくに印象深いのは、日本人が香港市民を救うために命をかけた取り組みがあったことでした。

香港に「青山公路」(青山通り)という名の道路があるのですが、知っている日本人はあまりいません。興味をもった私は、香港人の部下から話を聞いたり、香港医学博物館などで調べたりしました。

「青山公路」は、東京帝国大学医学部教授で医学博士の青山胤通氏の名前に由来しています。なぜ、日本人の名前が付いているのか。そこには香港と日本とのプロジェクトがあったのです。そのプロジェクトとは、日本人医師団が香港での伝染病究明のために不眠不休で調査し、その原因がペストであることを突きとめ、対処法を見つけたことでした。

しかし、その裏には遺体解剖調査の過程で自らもペストに罹り、高熱で倒れて意識不明の危篤状態に陥った現実があったのです。

いまから約120年前、香港で原因不明の伝染病が流行しました。人口密度が高く、衛生状態も悪かったため、伝染病は瞬く間に全土へ広がり、多くの市民が命を失いました。

香港政庁(当時)は、もはや自力で解決できないと判断し、原因究明とその対策を日本政府に求めました。それに応えて、日本政府は直ちに伝染病研究所の北里柴三郎博士や、前出の青山博士を責任者とする調査医師団六人を派遣しました。

医師団は、横浜港から船で7日間かけて香港に到着。病院に急行して実態把握や解剖などの調査研究に取りかかりました。病院には遺体が続々と運び込まれます。医師たちは、遺体の臓器を解剖し、そこから細菌を顕微鏡で見つけ出す研究を、昼夜を分かたず懸命に行ないました。そして、ついにこの伝染病の原因がペスト菌であることを突きとめたのです。同時に、その病原菌はドイツのコッホ研究所にも送られ、確認がなされました。

医師団は、原因がペスト菌であることを香港政庁に報告し、ネズミ駆除などの対処法も進言しました。そのかいあって、致死率95パーセントと猛威を振るった伝染病も下火に向かったのです。

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