名利と無縁の生涯
多くの大名や、幕府、朝廷といった権力によって支えられた隠元と萬福寺ですから当然、利得と名誉という「名利」に流れるかと思われました。
ところが隠元は、そうしたものを排除しつづけたのです。
寛文11年(1671)、隠元が80歳になったとき、天皇から賜る紫衣をさずけようとする運動が起こります。紫衣は最高の僧位を表わすとされていました。ところが隠元は、そうした話を喜ばず、運動を抑えたのです。
死去する3日前に、弟子を招いて、こう厳命しています。
「禅法を重んじて、かりそめにも名利を求めて、徳を失ってはならない。わが死後に、わが教えに背くならば、わが一門ではない」
歴代の住持は、中国人僧であることを遺言で定めます。その中で二世となる木庵、五世の高泉は、大名や公家に帰信をえて、黄檗宗を各地に広めています。十四世のときから日本人が住持になっています。
萬福寺に住むこと3年、住持を木庵にゆずった隠元は、松隠堂に隠棲します。
寛文13年(1673)4月はじめに、後水尾上皇から大光普照国師の号を賜りますが、その直後に末期の偈を書いて、亡くなります。82歳でした。
作家
武田 鏡村(たけだ きょうそん)
1947年、新潟県生まれ。作家、日本歴史宗教研究所所長。主な著書に『良寛 悟りの道』(国書刊行会)『一休』(新人物往来社)『「禅」の問答集』(河出書房新社)『名禅百話』(以上、PHP文庫)『親鸞 100話』(立風書房)『親鸞』(三一書房)『般若心経』(日本文芸社)『清々しい日本人』『図解 五輪書』『決定版 親鸞』(以上、東洋経済新報社)ほか多数。
バックナンバー「 日本仏教を形づくった僧侶たち」