元軍の襲来に遭遇
それから母親の近くにある庵に住んで、孝養を尽します。7年後、母親が亡くなると、かつて修行した杭州の霊隠寺に赴いて、悟った後の修行に励みます。
そして、台州にある真如寺の住持になりますが、このころ無学はもちろん、宋国には一大災厄がふりそそいでいたのです。
13世紀の初頭、中国北方のモンゴルに出現したテムジン(チンギス・ハン)のモンゴル帝国は、屈強な騎馬軍団を率いて、周囲の国を支配下において強大化していきます。
テムジンから5代目のフビライ・ハンは、南宋を滅ぼし、高麗(朝鮮)、チベット、ベトナム、タイを屈服させて、元帝国を築くことになります。
1275年、元軍が南宋に侵攻したとき、各地で略奪と虐殺のかぎりを尽くします。
このとき無学は、真如寺の僧らと温州にある能仁寺に難を避けますが、元軍は温州を制圧して、能仁寺にも乱入してきました。
能仁寺の僧たちは、先を争って逃げ出しましたが、無学は一人堂内に端坐して、坐禅をしていました。
元兵が無学の姿を見つけて、頭上に長剣を振るおうとした瞬間、それまで黙然としていた無学は、詩を朗々と唱えたのです。
「乾坤孤筇を卓するに地なし
喜びえたり、人空にして、法もまた空なりと
珍重す、大元三尺の剣
電光影裏、春風を斬る」
(天地も私も一切が「空」である。だから、元兵が三尺の剣で私を斬ろうというのなら、喜んで受けてやろう。そんなものは電光一閃、春風を斬るようなものだ。一切が「空」であるから、斬っても「空」である)
元兵の中に、この意味が分かるものがいたようで、無学の度胸と見識に度肝を抜かれて、剣をおさめ、地にぬかずくと、礼拝して去ったのでした。
翌年、無学は天童山景徳寺の環渓惟一に参じます。