崇拝の対象に
厩戸王子は、これらを発布したころに斑鳩宮に移り、法隆寺を建立します。斑鳩宮の所在地は、現在の法隆寺の東院にあたるといわれています。
法隆寺夢殿(国宝)(画像・AdobeStock)
そこで王子は、勝鬘経をはじめ、維摩経、法華経の内容を解説する義疏を著わしています。これが「三経義疏」といわれるものです。
その間、王子は小野妹子を中国の隋に派遣しています。遣隋使です。これは隋が朝鮮に進攻することに対する牽制であり、日本を属国とみなすことへの抗議の意味があったのです。それは、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という一文にも表わされています。王子は隋に対して、へりくだることなく、あくまでも日本は独立した国家であることを言明したのです。
厩戸王子は、内外に対して、明敏な政策を提示したのですが、推古30年(622)に49歳で没しています。后の一人が王子は必ず天寿国にいったと信じてつくったのが、「天寿国曼荼羅繍帳」です。
指導者としての厩戸王子の仏教信仰と英明な政治に対して、後年になると理想的な人物と崇拝され、「聖徳」という尊称で呼ばれて信仰されるようになっていったのです。
作家
武田 鏡村(たけだ きょうそん)
1947年、新潟県生まれ。作家、日本歴史宗教研究所所長。主な著書に『良寛 悟りの道』(国書刊行会)『一休』(新人物往来社)『「禅」の問答集』(河出書房新社)『名禅百話』(以上、PHP文庫)『親鸞 100話』(立風書房)『親鸞』(三一書房)『般若心経』(日本文芸社)『清々しい日本人』『図解 五輪書』『決定版 親鸞』(以上、東洋経済新報社)ほか多数。
バックナンバー「 日本仏教を形づくった僧侶たち」