京都、鎌倉での活躍
円爾の活躍は続きます。
栄西が開いた建仁寺の住持になって、火災にあった同寺の復興につとめ、さらに四天王寺や東大寺の要職について、諸大寺の再建や復興にも尽力しています。
しかも京都と鎌倉をしばしば往還して、席の暖まる暇もありませんでした。
円爾は、快活で洒脱で、物事にこだわらない性格であったといいます。
多くの学者や僧侶が訪ねてくると、問いや疑問に答え、あるいは論破するなど縦横無尽でした。
延暦寺の静明という僧が円爾のもとを訪ねて、
「禅の意味は何か」
と問うと、円爾は逆に天台の教説を問い、答えられないと丁寧に説明して、こういったのです。
「あなたは、まだ天台の教学を理解していないのに、なぜ教外の禅を知ろうとするのか。まず天台をしっかり学びなさい」
円爾の名声をこころよく思っていない一人に、儒学者である菅原為長がいました。
為長は、菅原道真から10代目の人で、当時では儒学の第一人者でした。為長は、円爾と論戦して、ことごとく論破して、儒学の優位性を示したいと考えていました。
二人が対座したとき、まず円爾は、
「あなたは儒学に長じるとうかがっておりますが、本当ですか」
「申すまでもありません。仏家が仏教に長じるように、儒家であれば儒学をよくすることは当然です」
「では、うかがいますが、わが仏法は師から弟子への相承からなっております。わたしは釈尊から55代、達磨大師から27代にあたります。では、あなたは孔子から何代目になるか、まずそれからうかがいたい」
この意表をつく質問には、為長はひと言も答えることができずに、あっけなく勝負がついたのです。
のちに為長は、
「私は彼と教義を論争したかったが、彼は世系でもって応じてきた。そのため最初でつまづいてしまった」
と嘆じたといいます。