「聖一国師」の称号を賜る
弘安3年(1280)はじめ、円爾は体調を崩しますが、それにもかかわらず各寺院の規則を制定しています。とくに東福寺は、
「円爾の弟子の中から器量の人物を選んで、代々譲るべし」
とする東福寺一流の相承を示しています。これを度弟院制と云います。これに対して法系を問わずに、器量によって住持を選ぶことを十方住持制といいます。
円爾の弟子は数多く輩出していますが、中でも第二世となる東山や南禅寺の開山ととなる無関をはじめ、その法をつぐ人は、六百余人にも及んでいます。入宋した人は12人を数えています。
やがて死を覚悟した円爾は、病床に臥していることを潔しとはしませんでした。侍僧に、
「この体を担いで法堂に連れて行ってくれ」
と頼みますが、侍僧は泣いて応じなかったといいます。
それでも法堂で死にたいと考える円爾は、「私の命令に従わなければ、わが弟子ではない。私が病床で滅しては、武士が室内で死ぬようなもので、犬死ではないか」
といって亡くなったのでした。79歳です。
のちに円爾の遺徳をたたえるために、花園天皇は「聖一国師」を贈りますが、これは日本での国師号のはじめとなったのです。
円爾という人は、現在ではあまりなじみのない僧となっていますが、鎌倉時代では、道元や法然、親鸞以上に仏教界に影響を与えた人物だったのです。
機会があれば東福寺の境内を散策して、円爾を思い浮かべてみてはどうでしょうか。とくに紅葉が映える通天橋は絶景です。
東福寺の通天橋(画像・AdobeStock)
作家
武田 鏡村(たけだ きょうそん)
1947年、新潟県生まれ。作家、日本歴史宗教研究所所長。主な著書に『良寛 悟りの道』(国書刊行会)『一休』(新人物往来社)『「禅」の問答集』(河出書房新社)『名禅百話』(以上、PHP文庫)『親鸞 100話』(立風書房)『親鸞』(三一書房)『般若心経』(日本文芸社)『清々しい日本人』『図解 五輪書』『決定版 親鸞』(以上、東洋経済新報社)ほか多数。