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メッセージ

広瀬 裕子
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暮らしの中から見えてくる風景や心象を表現し続ける、エッセイストの広瀬裕子さん。
2017年冬に、鎌倉から香川へ移住。
現在、設計事務所のディレクションに携わり、場づくり、まちづくりにも関わっています。
住む場所を変えて、見えてきたもの、感じた思いを綴ります。

photo by Yuko Hirose

 

ふと──目にしたもの。ひらいた本のページ。誰かと話しているとき。そんなとき、はっとすることがあります。その、はっとは、そのときの自分にとって必要なもので、目線を高くしてくれたり、忘れていたことを思い出させてくれたり、背中を押してくれるものが含まれています。多くの場合、その出合いは、偶然を装った必然的なメッセージ、と、感じることがよくあります。

出合いは、受けとる側が「どう思うか」で決まります。たとえば、ひとつのことばを「メッセージ」と捉えれば「メッセージ」になりますし、思わなければ「いつものことば」として流れていきます。その選択は、自分の基準ですればよく、ものごとは客観的な見方が必要なときもありますが、最終的には自分がどう思うか、見るか、感じるかで、いいのです。

いま、世界は、メッセージであふれています。日々、受けとるものがたくさんあります。ここ数年、SNSを通し触れること、ものがふえ、数年前とは比べようにならないほどメッセージと出合う確立がぐんとふえました。

最近、受けとったメッセージは「しあわせはこころの状態で、そのひとが置かれている状況ではない」というものです。これは、SNSでシェアされていたものが、目に飛びこんできました。

ひとは見たいものを見るようにできている、と思うときがあります。たくさんある情報のなかで、選択するのは自分でしかありません。どんなものが見たいか、必要か。それにより、目にするもの、手をとめるところが変わります。気づくには時間がかかることもありますが、本当は瞬時にわかっているのです。だから、飛びこんでくる。いまの自分、これからの自分にとって必要なことは、自身の目を通し、全身を使い、見つけ、選び、自分が自分に教えてくれるのです。

メッセージを受けとりたいとき。できるのは、通りをよくしておくこと。「通りがいい」というのは、どういうことか。

かろやかでいる、研ぎ澄ます、澱まない。それらが、通りのいいのイメージです。何かが気になったとき、その感覚を見すごさないというのも大切です。それこそ、気になるというそのこと自体がメッセージなのですから。

多分、メッセージは多くの人に平等にとどいているのです。ただ、こちら側が何らかの理由で見過ごしてしまうだけで。自分が、澄んだしずかな湖のようであれば、窓から射しこむひかりや雨のにおい、草木の色、ときに料理や音、手にとる本、ことばを交わしたひとのなかに、必要なメッセージを見いだすことができるのです。

 

(月1回連載)

*広瀬裕子

東京都生まれ。エッセイスト/設計事務所ディレクター/縁側の編集室共宰。「衣食住」を中心に、こころとからだ、日々の時間を大切に思い、表現している。
2017年冬、香川県へ移住。おもな著書に『50歳からはじまるあたらしい暮らし』『整える、こと』(PHP研究所)、『手にするものしないもの 残すもの残さないもの』(オレンジページ)など多数。

広瀬裕子オフィシャルサイト http://hiroseyuko.com
あたらしいわたし
共著者:藤田一照×広瀬裕子
出版社:佼成出版社
定価:本体1,200円+税
発行日:2012年12月
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