暮らしの中から見えてくる風景や心象を表現し続ける、エッセイストの広瀬裕子さん。
2017年冬に、鎌倉から香川へ移住。
現在、設計事務所のディレクションに携わり、場づくり、まちづくりにも関わっています。
住む場所を変えて、見えてきたもの、感じた思いを綴ります。
いままで当り前に手にしていたものが、手に入らないということが、移り住んでから時々あります。
その土地その土地のいいものもありますが、それとは別に「これはここのもの」という思いいれがあるものや使い慣れているものが必要なときは、送ってもらうようお願いすることにしています。
電話やメールをすれば、2、3日後には、必要なものは手もとにやってきます。
頼んだものがとどくとき──。
その包み方にそのひとが見えます。ひとだけでなく、店や企業の姿勢も見えるときがあります。
折れたり、壊れたりする可能性のあるものは、ていねいに梱包され強いテープが使われているときは、はがしやすいよう端が折られています。
礼状がはいっているとき、明瞭な説明書がついているとき。うつくしい包みでとどいたときなどは、店頭で買い求めるのとはまた別の印象を持ちます。心配りや工夫で、受けとり手はその何倍もの思いを感じられるのです。
以前「折形」を習っていたことがあります。日本には、かつて、型で相手を慮る文化がありました。
折形は、先方へ何かを渡すとき、包み方やその手順、どういった紙を選べばいいか、飾りの種類などを教えてくれる場でした。言葉や文字を使わずとも、紙質、水引の数、色などで、相手を敬う気持ち、格が表せるのです。
時代とともに、多くのものが簡略化され、折形の名残は一部のものだけになりましたがそれでも、包み方、贈り方で相手に思いが伝わるのは変わりません。
できるだけきれいにと思いながら包むのと、敬う気持ちがあるもの、面倒と思いながら包装するのとは同じものを同じ材で包んだとしてもちがったものになります。それは、贈り物や形に乗っとったものだけに限らず、遠くから届く封書や小包にも同じものを感じます。
比較的、何にでも手に入る環境にいるのと、そうでないところにいるのとでは、気づくところがすこし変わります。受けとり封を開ける機会がふえることで、送り方が見えるようになりました。
先日、友人からとどいた箱には、手紙とともに季節の野菜、くだものが新聞紙にていねいに包まれていました。
箱のなかには、送ってくれた物そのものと、そのひとが包んでくれた時間、思いも、いっしょに入っているようでした。
photo by Yuko Hirose
(月1回連載)
東京都生まれ。エッセイスト/設計事務所ディレクター/縁側の編集室共宰。「衣食住」を中心に、こころとからだ、日々の時間を大切に思い、表現している。
2017年冬、香川県へ移住。おもな著書に『50歳からはじまるあたらしい暮らし』『整える、こと』(PHP研究所)、『手にするものしないもの 残すもの残さないもの』(オレンジページ)など多数。