暮らしの中から見えてくる風景や心象を表現し続ける、エッセイストの広瀬裕子さん。
2017年冬に、鎌倉から香川へ移住。
現在、設計事務所のディレクションに携わり、場づくり、まちづくりにも関わっています。
住む場所を変えて、見えてきたもの、感じた思いを綴ります。
新しい時代をむかえました。
人により受けとめかたは様々だと思いますが、わたしが感じたのはかろやかさでした。
空気が変わると、意識も変化します。
ふとした瞬間にそのことに気づき、時代が変わるということに改めて思いを深めます。
空気が変わったのを受け、わたしがしたことは、踏みこんだ「整え」でした。気持ちの整え、身体の整え、物の整え、それらをとりまく空間。新しい時代が、自分の気持ちに変化をもたらしたのです。
整えるときのルールは、いくつもあります。人の数分、答えが導きだされます。
何を整えるかにはじまり、使うか使わないか、持っていたいかいたくないか。
今回、わたしは「いまを含め、これからの自分はどうありたいか」という視点で整えました。
以前「いまある自分は、なりたかった自分でもあるのですよ」と言われたことがあります。いまいる自分は、かつての自分自身が選んできた結果と言うものです。その言葉は、当時のわたしにはすっと入ってきませんでした。
人生では、ときに望んでいないできごと、結果もあるからです。でも、いまは、それが理解できます。視点を動かせば、ものごとの見方、進み方は変わります。どちらからも見ることはできるのです。
整えた結果──。大きく変わったのは、日々使う食器の数でした。物を通した向こうにいる自分の変化でした。
人生は、その場面場面で、関わる人や人との関係性が変わります。多くの人たちとテーブルを囲む時期もあれば、年齢や家族、仕事、暮らす場所、やりたいことなどで変化していきます。以前は、大人数でよく食事をしていましたが、いまは少ない人たちと深い時間を持つことのほうが心地よく、そういう場面がほとんどです。
多分、これからも大事にしたいのは、そういう時間だと思います。その視点から見ると、使い切れていないお皿やグラス、カトラリーがたくさんありました。
どれも気に入ったものなので、頻繁に使わなくても気になりません。むしろ、持っていたいと思うものばかり。でも、今回は「もう、ちがう」と感じました。いまのわたし、これからのわたしには「もう、ちがう」のです。
日々、よく使うものはひとつの引き出しに、誰かとテーブルを囲む必要な数量は別の棚へ。考えはじめると、買ったときのことを思い出したり「いや、また、使うかも」という思いがよぎりますが、大切なのは新しい自分の感覚です。そうやって手を動かしていくと必要な食器は、半分ほどになりました。
今回の整えは、「不要なものを手放す」というより「これから必要なものをあるものの中から新たに手にする」という感覚です。「時間を積み重ねていった先にいるかもしれないわたしに」という方向性です。外から見たときは同じように映ったとしても、過程と心持ちがちがいます。
整えたあとは、すべてがいままで以上に風通しがよくなりました。それは、新しい時代のかろやかさと同じようです。
(月1回連載)
東京都生まれ。エッセイスト/設計事務所ディレクター/縁側の編集室共宰。「衣食住」を中心に、こころとからだ、日々の時間を大切に思い、表現している。
2017年冬、香川県へ移住。おもな著書に『50歳からはじまるあたらしい暮らし』『整える、こと』(PHP研究所)、『手にするものしないもの 残すもの残さないもの』(オレンジページ)など多数。