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整える

広瀬 裕子
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暮らしの中から見えてくる風景や心象を表現し続ける、エッセイストの広瀬裕子さん。
2017年冬に、鎌倉から香川へ移住。
現在、設計事務所のディレクションに携わり、場づくり、まちづくりにも関わっています。
住む場所を変えて、見えてきたもの、感じた思いを綴ります。

photo by Yuko Hirose

 

棚の扉をあけ、取捨選択し、移動し、整える──。休日の朝、ふと思い立ちはじめることもあれば、することがあるのに気になってはじめるときもあります。整える理由、タイミングが、明確にあるわけではありません。何かが滞っている気がする。あるのは、その感覚だけです。

そういうとき、わたしは、何かが終わり、つぎの段階へいく時期と捉えています。昨日まで気にならなかったことが、急に気になるというのは、そういうことだと思うのです。昨日の自分と、今日の自分が同じではないように。どういう理由か、経過かは、わからなくても、何かがあたらしくなったことで感じる違和感。ぼんやりした感覚、なんとなくという感じは、案外、当てにしていいのです。

整える方法は、いくつかあります。食べ物で整える。身体を動かすことで調整する。旅にでるのもそうです。どれも必要なこと。物や空間を整理するのは、生き方がつぎの段階になったことと、情報や人間関係といった自分をとりまく状況の風通しをよくするためだと感じています。

空間を見て、滞っているところを見つけます。日々のなか、無意識に置いたものが増えている箇所、ほこりを払うだけで水ぶきをしていない部分、季節が変わったのに風を通していないところ。無造作に置いているなら置き直し、水ぶきをし、窓をあけ空気を入れかえます。

その一連のことは、場所が変わっても、住いが変わっても、どこにいてもいっしょです。そうすることで自分が整うと同時に、あたらしい関係性、おとずれる季節、これから暮らす土地とチューニングを合わせていっているように感じます。

もしかすると、整理をするため棚の扉を開けるという行為は、自分のなかにある扉、いままで閉ざしていた扉を開けることとつながっているのかもしれません。

整えるとき、大切にしているのが、置かないという選択です。

何を置くか、どう置くか、どのように収納するか。いまは、そちらのほうに意識がむくことが多いのですが、大事になのは、何を置かないか、削るか、余白をどれだけ残すかということです。物に、置き場所やきれいな角度があるように、置かないほうがいいこともあるのです。

何も置かないというのは、何もないのとはちがいます。そこには、空間があります。空気が間をつくっている。そこには、空気の層が浮かんでいます。

いまの住いに暮らしはじめ、1年半がすぎました。移りすんだころとは、家の空気も変わりました。それは、自分自身が変化したことを意味しているのかもしれません。

(月1回連載)

*広瀬裕子

東京都生まれ。エッセイスト/設計事務所ディレクター/縁側の編集室共宰。「衣食住」を中心に、こころとからだ、日々の時間を大切に思い、表現している。
2017年冬、香川県へ移住。おもな著書に『50歳からはじまるあたらしい暮らし』『整える、こと』(PHP研究所)、『手にするものしないもの 残すもの残さないもの』(オレンジページ)など多数。

広瀬裕子オフィシャルサイト http://hiroseyuko.com
あたらしいわたし
共著者:藤田一照×広瀬裕子
出版社:佼成出版社
定価:本体1,200円+税
発行日:2012年12月
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