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紅茶をいれよう

広瀬 裕子
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暮らしの中から見えてくる風景や心象を表現し続ける、エッセイストの広瀬裕子さん。
2017年冬に、鎌倉から香川へ移住。
現在、設計事務所のディレクションに携わり、場づくり、まちづくりにも関わっています。
住む場所を変えて、見えてきたもの、感じた思いを綴ります。

 

photo by Yuko Hirose

 

日々の時間のなかでは思いがけないことが起きるときがあります。目で見えるできごとのときもありますが、目に見えない──例えば、気持ちがざわつく、こころが痛む──などのときもあります。

自分の気持ちが波打っていることに気づければいいのですが、わからないとき、そんなときは、いつもは口にしない言葉を発したり、食器を割ったり、ケガをしたり。そこで、はじめて、はっとするのです。自分の気持ちが波打っていることに。

ひとには、言語化できないけれど、なんとなく気持ちがすっきりしない、身体とこころがかみ合っていない、そんなことがときどきあります。

ふっと、そんな気配を感じたら。「紅茶をいれよう」と思います。

やかんに水を注ぎ、火にかけます。ゆっくりと沸きはじめるお湯。その音に耳を傾けていると、やがて、しゅんしゅんという音と白い湯気があがりはじめます。ポットとカップを用意し、沸いたお湯を注ぎあたためる。そのとき、大事なのは、できるだけ、静かにゆっくり動くことです。

ていねいな所作は、気持ちを鎮めてくれます。こころの波がすべて消えたりはしませんが、少なからず徐々に収まってきます。こころと身体がつながっているように、動作と気持ちも連動しています。

あたためたポットに分量の茶葉をいれ、お湯を注ぐと、ポットのなかでは茶葉が躍るようにくるくるとまわりはじめます。タイマーをかけ、しばらくのあとに、お茶がお湯に溶けだすのを待ちます。

この一連の流れは、10分もあればできることです。この10分で、気持ちが変わるのです。

わたしは、紅茶がすきなので紅茶をいれますが、コーヒーでも、緑茶でも、気持ちの変化は同じです。ざわついていた気持ちが落ちついていく、つぎにやるべきことが見えてくる。

ひと呼吸おく。目の前のことに集中する。お茶をいれることで、それらと同じ効果があるのだと思います。ていねいに手を動かすことが気持ちの余裕をつくりだし、お茶を待つ時間が気持ちの波を鎮め、食器をていねいにあつかうことが自分自身に返ってきます。

いつもは気づかない風の音や鳥の声が聞こえてくるのもそんなときです。日ごろ自分がどれほど大きな音のなかにいるか、聞こえないようにしているのかを知ります。忙しい、やることがたくさんある、と思っている自分に気づきます。一体何をそんなに急(せ)いているのだろう、と。

紅茶やコーヒーをいれるという行為は、自分のなかに下りていくことに近く、もしかすると、脚を組み、手をおき、半眼になる、坐禅と似ているのかもしれません。

自分にとりよいきっかけになるものは何でもいいのです。花を活ける、空間を整える、お茶をいれる、点てる、歩く、坐る。自分に合ったつづけられること、日常でバランスがとれることならば。

さあ、紅茶をいれましょう。

(月1回連載)

*広瀬裕子

東京都生まれ。エッセイスト/設計事務所ディレクター/縁側の編集室共宰。「衣食住」を中心に、こころとからだ、日々の時間を大切に思い、表現している。
2017年冬、香川県へ移住。おもな著書に『50歳からはじまるあたらしい暮らし』『整える、こと』(PHP研究所)、『手にするものしないもの 残すもの残さないもの』(オレンジページ)など多数。

広瀬裕子オフィシャルサイト http://hiroseyuko.com
あたらしいわたし
共著者:藤田一照×広瀬裕子
出版社:佼成出版社
定価:本体1,200円+税
発行日:2012年12月
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