目からウロコの仕事力

トルコの100年後の恩返し ―「報恩」の心

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100年を経ても忘れぬ心

もう一つが、トルコ航空機による在留邦人の救出です。1985年3月、イラクの大統領が「今から48時間後、イラン領空の航空機は民間機でも安全を保障しない」と警告を発しました。このため、日本人を含む在留外国人は一斉に出国しようとしました。しかし、当時日本の航空会社が危険であることを理由に特別機を出さなかったため、在留日本人215人は空港に取り残される事態に陥ります。なかには絶望感でパニックになった夫人たちもいました。このため、日本の大手商社のトルコ支店長が、個人的に親密なトルコのトゥルグト・オザル首相(当時)に電話をかけ、「日本人救出のため航空機を出してほしい」と懇願しました。

数時間後、オザル首相から「日本人救助のため特別機を一機出しましょう。エルトゥールル号遭難時に受けた恩義があり、その恩返しをさせていただきましょうと電話がありました。その後、日本人215人は警告時限が迫るなか、トルコ航空機に搭乗して脱出。イランの国境を越えたときは、みんな泣いていたそうです。

しかし、このことは首相にとって苦渋の決断でした。500余人のトルコ人も取り残されていたからです。最終的には、在留トルコ人は3日以上車に揺られ、ほこりと汗で真っ黒になってイランを脱出することができたのですが、誰も日本人を優先したことを非難しませんでした

思えば「エルトゥールル号の遭難事故」での日本の救出対応が親日の始まりといえます。その約100年間、恩義を忘れずにいたトルコが、「エルトゥールル号の恩返し」として日本人を助けてくれたのです。

ですから、日本人である私たちも、この恩義を忘れず、トルコとの友好関係を持続させる努力をしなくてはなりません。「報恩」の心を次の世代に語り継いでいくべきです。

トルコの事例は、人さまから受けた恩義を心にしっかりともち、その恩に報いて行動することの大切さを私たちに教えているのではないでしょうか。また、企業も経済面だけでなく、文化・歴史面を正しく見て(正見[しょうけん]、理解を示したうえで海外進出していきたいものです。

中央学術研究所客員研究員
佐藤武男(さとう たけお)
1954年、東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、三菱銀行に入行。香港や米国などの海外勤務を経て、三菱東京UFJ銀行外為事務部長を務める。また、貿易電子化諮問委員会の日本代表を6年間務めた。中央学術研究所客員研究員。現在はグローブシップ株式会社常務取締役管理本部長。
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