目からウロコの仕事力

自らを省みず、使命を成し遂げる―「不惜身命」

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命を救うために

香港政庁は日本の対応に感謝の意を表し、日本人医師や日本国総領事などを招いてパーティーを開きました。しかし、その晩に青山博士は40度の高熱で倒れます。ペストに感染していたのです。おそらく解剖の際に感染したのでしょう。その後、2人の医師も倒れました。

香港の日本総領事館は、この知らせを日本政府に緊急打電し、両国の新聞も「青山博士危篤、調査中に自らもペストに感染」と大きく伝えました。また、香港では回復を祈る集会も開かれたといいます。

青山博士らの命を救うため、イギリスの軍艦内の診察室であらゆる薬や先端治療が施されました。そして奇跡的に一命を取りとめることができたのです。しかし、感染した他の医師は懸命な治療にもかかわらず息を引き取りました。

青山博士が一命を取りとめたニュースは、香港の人に大きな感動を呼びました。

北里博士は医師団の総責任者としてペスト菌を発見し、輝かしい功績を歴史に残しました。一方、香港の人びとは、自ら先頭に立って危険な解剖を行ない、昼夜を問わず研究に没頭した、まさに「不惜身命」の精神で貢献したのは青山博士であることを知っていました。そこで香港の人びとは、その業績に感謝の意味を込めて名前を顕彰し、長く後世に残したいと、当時無名だったある道路を「青山公路」と命名したのです。

青山博士をはじめ、命がけで尽くした日本人がいたからこそ、香港の人たちのあいだでは、いまでも日本人が一目置かれています。日本企業の進出など、経済的な面だけではないのです。

他の国でも、これまでに危険やリスクを承知のうえで、命を惜しまず、情熱と使命感を抱いて事を成し遂げた日本人はたくさんいました。日本人である私にとって、それは誇りです。そして、また私たちも青山博士らのような「不惜身命」の精神をもって行動すれば、必ず道は開かれることを教えてくれているのではないでしょうか。

中央学術研究所客員研究員
佐藤武男(さとう たけお)
1954年、東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、三菱銀行に入行。香港や米国などの海外勤務を経て、三菱東京UFJ銀行外為事務部長を務める。また、貿易電子化諮問委員会の日本代表を6年間務めた。中央学術研究所客員研究員。現在はグローブシップ株式会社常務取締役管理本部長。
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