怨みをいだいている人びとのなかにあっても、
われわれは安穏に生きよう。
怨みをもっている人びとのあいだにあっても、
われらは怨みなく安楽に過ごそう。
「ダンマパダ」(197)
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殺人などの罪を犯した者に、わたしたちは大きな怒りや憎しみをいだいて、厳しい処分は当然だと思います。人殺しは悪いことです。しかし、だからといって、犯人を死刑や極刑に処することが、その答えになるのでしょうか。
「立ち直るために、なんとかしてあげられないだろうか」という心をもつことが大切だと思うのです。
仏教ではどんな極悪人でも、立ち直る可能性があると教えます。
お釈迦さまの弟子には、かつて千人もの生命を奪おうとしたアングリマーラがいます。つぎつぎと人を殺し、「あと一人を殺せば千人」というところで、お釈迦さまに出会ったのです。そんな男でも、出家して悟ることができました。
よく考えてみれば、罪を犯した者だけが悪いのではありません。わたしたちにも、その責任の一端があるのではないでしょうか。
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