昼も夜も害を与えない(慈しみの心)でいる比丘は、いつも覚醒してつねに冴えている。
「ダンマパダ」(300)
日常のなかで慈悲の心を育てるには、自分の気持ちを周りに広げてみて、相手の気持ちを理解してみようと努めることです。
たとえば満員電車に乗ったとき、「ああ混雑していやだなあ」と思うことがあるでしょう。そのときに「この電車に乗っている人も、自分と同じ気持ちなんだろうなあ」と、他人の気持ちを想像するのです。その瞬間に、それまでとは違う世界が生まれるはずです。
動物を見ても、植物を見ても、どんな生命を見ても、自分の心を広げてみるのです。すると、それぞれが等しく同じ生命で、大海のようにつながっているものだという感覚が生まれます。自分というものは、一滴の海水のようなものであって、特別な存在ではないということがわかってきます。その感情が生まれてきますと、「自分という我」が消えていきます。
自我中心的な人は、いとも簡単に「他人を嫌いだ」と思ってしまうものです。すると、相手も同じように「いやだ」という感情をいだきます。同じ質の感情が返ってくるのです。ですから、自分が他人にしてもらいたいのなら、まず自分が他人にたいしてしてあげることです。やさしくしてもらいたいのなら、まず自分が他人にやさしくするのです。心配してもらいたいなら、まず他人の心配をすることです。他人の幸せを願う行為は自分のためでもあります。
他人の幸せを願うことは、自分の心を喜ばせることになります。そして相手の心も喜びます。人の心が喜べば、同じ波動が自分に返ってくるのです。
人を祝福するとき、お互いがいい気分になります。祝福するほうも気持ちがいいし、されるほうも気持ちがいい。ともに喜び合えるのです。それが慈悲の働きなのです。
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