人びとは、
われわれは死すべきものだと気づいていない。
このことわりに、他の人は気づいていない。
このことわりを知る人があれば、
争いは鎮まる。
「ダンマパダ」(6)
この世の中でたしかなものは、たった一つしかありません。それは、自分が「死ぬ」ということです。ほかのものは、すべてが不確かで、変わりゆくものなのです。
そして、人はいつ死ぬのかわかりません。赤ちゃんだから、子どもだから、健康だから死なないということはありません。「自分が死ぬ」ということを覚悟したら、無意味な争いなどしなくなります。だれもが結局は死ぬのですから、そんなにびくびくしなくても、そんなに緊張してストレスを感じなくてもいいのです。それぐらい楽な気持ちでやれば、ものごとはうまくいくのです。
わたしの寺には、子どもの弟子が四人おりますが、いくら教えても間違ったことをやります。仕事を頼んでもよく失敗します。法事をまかせたら、信者さんに叱られます。何年も厳しく叱ってしつけようと努めたのですが、弟子たちは相変わらず同じ失敗を繰り返します。次第にわたしも、弟子にたいしていやな気持ちをいだくようになりました。弟子もわたしを見るたびに、「また叱られるのか」といやな顔をします。これでは人間関係は成り立ちません。
どうすればいいのかと悩んでいたとき、はっと気づいたのです。「自分はいつか死ぬのだ」。そう思った瞬間に、心の重荷が落ちてしまって、とても穏やかな気持ちになりました。「どうせ人間というのは完璧ではない。どうせわたしは先に死ぬ。かれらが大人になったとき、わたしはもういないんだ。そんなに完璧に弟子を育てようと苦労しなくてもいいんだ」と気がついて楽になりました。いまだに、「あれは間違い」「これは間違い」と目にはつきます。しかし、わたしとしてはリラックスして落ち着いていられるのです。
「人間は、確実に死ぬ」という認識は、とてもすばらしい生き方を与えてくれます。わたしたちは瀕死の病にかかる前に、このことを心に叩き込んでおかないといけないのです。死の床に入ってからでは遅いのです。
バックナンバー「 原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話」