原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話

怒ろうとするとおばあちゃんの顔が浮かぶ

アルボムッレ・スマナサーラ
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粗暴なことばを言うな。言われた人びとは、あなたにそのまま言い返すだろう。
怒りを含んだことばは苦痛である。仕返しがあなたの身に至るだろう。

「ダンマパダ」(133)

 


ちょうどこわれた鐘のように、自己が静寂であるならば、あなたは安らぎに達している。
そのようなあなたに、怨みなどあるはずはない。

「ダンマパダ」(134)

 

Women tea pickers in Sri Lanka.

画像・AdobeStock

スリランカでは、在家の方がわたしたち僧侶を礼拝します。その姿を見ると、出家と在家では、大きな差があると思うかもしれません。でも、日本の人が思うほどに、在家と出家の差はないのです。
わたしの子どものころは、在家のおばあちゃんたちがわたしたちを叱って、立派な僧侶になるように教えてくれました。そのおばあちゃんたちは、わたしたちの振舞いに間違いがあれば、今でもわたしたち僧侶を叱りつけたりします。

ある満月の夜のことです。わたしの田舎のお寺で、信者たちが集まって、大きな儀式が催されました。たくさんの参拝者が来るものですから、食事の支度がたいへんです。在家の方々が準備をするのですが、わたしたち僧侶もおばあちゃんたちといっしょに料理をつくっていました。ところがその台所に悪童がやってきて、用意していた料理をひっくり返し無茶苦茶にしてしまったことがありました。わたしはその子をつかまえて、きつく叱りつけたのです。すると、お米をいでいたおばあちゃんが、わたしに言いました。

「そんなふうに叱ってはいけないよ。それぐらいのことで怒るなんて、情けない。その子の母親にしてみれば、それはそれは可愛い子どもなんだから」

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