原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話

不安の消えた状態が悟り

アルボムッレ・スマナサーラ
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渇愛から憂いが生じ、
渇愛から恐れが生じる。
渇愛を離れたならば、
憂いは存在しない。
どうして恐れることがあろうか。

 

                   「ダンマパダ」(216)

画像・AdobeStock

生きているかぎり、わたしたちは「好き」「嫌い」という二つの感情から逃れることはできません。
好きなものにたいしては「欲しい」という欲が生まれますが、嫌いなものにたいしては「離れたい」という気持ちが生じます。絶えず心が落ち着かず、「なにかをしたい」「なにかをしなければ」という衝動に駆り立てられるのです。そこに憂いや不満が離れないでつきまとうのです。

不安には「はっきりした不安」と「なんとなく覚える不安」というものがあります。「なんとなく覚える不安」というものは、いつもつきまとって、なかなか厄介なものです。

しかし「はっきりした不安」というのは、それほど問題ではありません。たとえば、リストラに遭ったとか、仕事がなくなったというのは、原因がはっきりしているので明確な不安です。その不安を解消するには、「これからどうやって食べていくか」ということを考えればいいわけです。ただちに答えはでなくても、かならずどこかに答えがあることはたしかです。不安だけれども、心のなかでは安心しているわけです。

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