原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話

自我は苦しみを生むおおもと

アルボムッレ・スマナサーラ
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わたしたちの心は、外からさまざまな情報が入ることによって、瞬間瞬間に動きだします。外からの情報が入る窓口は、眼耳鼻舌身意と六つあります。目には色、耳には音、鼻には香り、舌には味、体には熱さとか硬さなどの感触、頭にはいろいろな概念が入ってきます。情報に触れたときに、わたしたちは、そこにさまざな価値判断を入れてしまうのです。

たとえば、音が耳から入ります。それは、たんなる音です。しかし、わたしたちは、「心地よい」とか「耳障り」だとか、主観的な価値判断を入れます。そうしてそこから、「わたしをいじめている。非難している」とか「仕返しをしなくては」というふうに、妄想がふくらんでいくのです。それが煩悩の働きです。
この煩悩の働きを断つには、外からの情報を得たとき、「ただ音だけ。ただ色が見えただけ」と観ていくのです。そこに「わたし」というものを入れないのです。

一切の事物に、「わたし」というものを入れない。それが、煩悩の働きを断ち、明らかな智慧を生むことになるのです。心を清らかにするには、特別な山中で修行する必要はありません。歩いていても、料理をしていても、電車に乗っていても、いつでもどこでもできることなのです。とかく、わたしたちの心は、ちょっとしたことで感動したり、悲しくなったり、暗くなったりしてしまいます。それは自動的な反応であったり、他人や外部から操られているようなものです。それは、不安定な浮わついた心です。

心を観る実践をしていると、人からなんと言われようと、誉められようがけなされようが、そのことばもちゃんと聞いて理解していて、しかも心のなかに感情の波は立ちません。落ち着いた心ができてきます。落ち着いた心ができれば、さらに心が成長していくのです。

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