あさはかな愚かな者たちは、自分自身にたいして敵のように振舞う。
悪い行ないをして、苦難の結果を得る。
「ダンマパダ」(66)
自分が自分にたいして、仇敵のように振舞うのです。心は、あたかも原子炉のようなものです。よく管理すれば、よいエネルギーとして活用できます。しかし、チェルノブイリの原発事故のように原子炉から放射能が漏れだしたら、人間は暮らすことができません。心も暴発すれば、自分自身にたいして壊滅的な被害を与えるのです。未熟な心は、自分にたいして敵になるのです。その敵(心)が自分にたいして、そして他人にたいしても攻撃をしかけるのです。
たとえばわたしたちの世界は、至るところで争いが起きています。戦争は起こるし、家庭では夫婦喧嘩はあるし、子どもはいろいろ問題を起こします。この世の中にあるのは、ただただ争いばかりだと言っても過言ではありません。争いが解決されないのは、自分自身(の心のありよう)に気がつかないで生きているからです。自分自身に気がつかないから、争いを引き起こし、争いの渦の中に入ってしまうのです。
わたしたちは、普段、自分自身に気づいていると思っていても、そうではありません。ほとんどの行為は、無意識のうちに行なわれています。
歩いているときには、歩いていることに気づいていないで、なにか別のことを考えています。食事のときもそうです。やっていることと、考えていることが、バラバラなのです。「わかっちゃいるけど、やめられない」と、よく言うではありませんか。それは、「わかったつもりで、わかっていない」のです。「わかったつもり」と「わかっている」との区別がついていないのです。ほんとうにわかっていたら、とっくにやめているはずです。
怒ることは悪いとわかっていても、つい怒ってしまう。怠けることはよくないとわかっていても、つい怠けてしまう。それが人間の弱さです。よくないとわかっていることを、瞬時にやめられるのなら問題はそれで終わります。しかし、そうはいかないものですから、お釈迦さまは延々と説かれているわけです。「わかっちゃいるけど、やめられない」という状態があるから、ゆっくりゆっくり、少しずつ少しずつ、丁寧に教えておられるのです。
お釈迦さまが教えられたことは、「自分の心がどのように動いているのかをよく観察する」ということです。心というものは、見たり、聞いたり、触ったり、味わったり、嗅いだりすることで、いろいろな変化が起こります。しかし、そこにはある種の法則があります。それを「よく明瞭に観なさい」というのです。
あらゆる問題は、「今、ここの自分自身」に気がつかないために起きているのです。だから心を浄める道とは、「今、ここの自分自身」に気づくことなのです。
* * *
「ダンマパダ」とは、「真理のことば」という意味です。わたしは「お釈迦さまのことばにいちばん近い経典」と言われるパーリ語の「ダンマパダ」を日本語に直訳し、一人でも多くの人にお釈迦さまの教えを伝えたい、と願っています。
お釈迦さまの教えを「一日一話」というかたちでまとめ、それぞれにわたしの説法を添えました。大切なことは、お釈迦さまの教えを少しずつでも実践することです。そうすれば、人生の悩みや苦しみを乗り越えていくことができるでしょう。
アルボムッレ・スマナサーラ
バックナンバー「 原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話」