原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話

自分の思うがままになるものはない

アルボムッレ・スマナサーラ
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わたしには子どもがいる、わたしには財産がある、
と愚かものは悩み苦しむ。
自分でさえ自分のものでないのに、
なにが子どもか、
なにが財産か。

                   「ダンマパダ」(62)

画像・AdobeStock

わたしたちは、自分には子どもがいる、自分には財産があると思って安心しています。けれども「自分のもの」と思っていても、じつは子どもや財産に、自分自身が使われているのです。

お金が欲しければ、それ相当の仕事をしなければなりません。わたしのお金だからといって、自分で払うお金を決めることはできません。一千万円の貯金があるからといっても、一等地のマンションが欲しければ、もっとためなくてはなりません。病気になったら、治療費は医者が決めることです。お金のために生きるということになれば、お金の奴隷になってしまいます。

いくら自分の子どもといっても、子どもには子どもの生き方があります。いくら命令しても、親の思いどおりにはなりません。赤ちゃんの睡眠時間などは、親の都合とは関係ありません。赤ちゃんは起きたいときに起きて、お腹が減れば泣きます。親が子どもに合わせるしかありません。

自分の体はどうでしょうか。それも自由にはなりません。体が疲れていれば眠くなります。お腹も空けば、トイレにも行きたくなります。体は自分に「ああしろ、こうしろ」と命令します。「はいはい、わかりました」と動かなくてはなりません。まるで自分は体の奴隷のようです。

では、心はどうでしょうか。心こそ自分のもので、それは自由になるのでしょうか。

そうではありません。「けっして怒らない」といっても、怒るときには怒ります。悩みたくなくても悩んでしまいます。わが心さえも、自由にはならないのです。

この世で、自分の思うがままになるものはなに一つないのです。わたしたちは、思うがままにならないことを思うがままにしようとして苦しんでいるのです。

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