会社経営者だった岸田さんは
多額の持ち逃げに遭い、会社は倒産。
伴侶にも逃げられ、ホームレス生活を送り、
自殺一歩手前まで追い詰められたといいます。
現在は悩める経営者の支援と社会貢献に生きがいを見出す岸田さんが、
ホームレス生活から立ち直るまでと
「運とご縁の引き寄せ方」を赤裸々に語っていきます――。
ネギを栽培して飢えを凌ぐ
絶望感に打ちひしがれていた私ですが、ホームレスのおじさんからバナナを恵んでもらったことで、生きる勇気、いや生き伸びようという力が湧いてきました。そして生きる知恵もわいてきました。
それは食べるための方策です。
ほかのホームレスをよく観察していると、公園の花壇の一角に、ネギ、ピーマン、オクラ等を育てて食べていました。飲食店の裏に捨ててあるネギの根などを拾ってきて植えるのです。私もマネしてやってみました。食べ方はというと調理道具も火もありませんから生で食べるしかありませんでした。中でもネギは成長が早いので重宝しました。自動販売機の下に小銭が落ちていないかと探したりもしました。情けない気持ちよりも生きることに必死でした。
寝る場所はベンチと決めていました。なぜなら、ブルーシートや段ボールで住処を作るとホームレス生活から抜け出せないと思ったからです。しかし雨の日は本当に困りました。公園には雨宿りするところがありません。木の下で雨宿りするものの、衣服は雨でどんどん濡れてきます。その時も先輩ホームレスが見かねて声をかけてくれました。
「兄ちゃん、体濡れたら風邪ひくで。うちに泊まっていき」
この時だけはブルーシートの家に世話になりました。でも、それ以外はベンチで寝るという意思を貫きました。ホームレス生活から抜け出すための必死の抵抗だったかもしれません。公園で遊びに来る人たちから「あそこにホームレスがいる」と冷たい視線を向けられても、気にせず、「この生活から絶対抜け出してやる」と心の中で叫んでいました。
こんな毎日でしたが、驚いたのは、ホームレス生活には“物々交換”があり、生活に必要なモノがそれなりに手に入ることでした。ホームレスになるまでは、欲しいものは何でも買っていた私ですが、全財産が50円となった今は生きるために今まで経験したことのない物々交換を開始しました。
もう使わなくなった腕時計とダンボールとの交換、持っていたポケットティッシュと週刊誌との交換……。交換したものは大事に使い、また必要なものと交換していく毎日でした。空き缶を集めて稼ぐことも考えましたが、売っても1キロ数十円、多くても100円にしかなりません。これでは体力が消耗するだけで、それに見合う収入にならないので諦めました。
(次週に続く)
岸田さんのブログ