会社経営者だった岸田さんは
多額の持ち逃げに遭い、会社は倒産。
伴侶にも逃げられ、ホームレス生活を送り、
自殺一歩手前まで追い詰められたといいます。
現在は悩める経営者の支援と社会貢献に生きがいを見出す岸田さんが、
ホームレス生活から立ち直るまでと
「運とご縁の引き寄せ方」を赤裸々に語っていきます――。
永遠の別れ
いろいろなことを前向きに捉えられるようになれた頃、市役所から一通の通知が届きました。封筒を開けると「相続税支払い通知書」が一枚入っていました。私は、何のことか理解できずに市役所に電話をしたのです。
「相続税支払い通知書が届いたのですが、どういうことでしょうか?」。すると職員は「お父様が亡くなられたので長男にあたるあなたに送らせていただきました」。私は両親が元気に生きていると思っていましたので、もう一度、聞き直しました。返ってきた答えは同じものでした。
涙が落ちてくるのを我慢して、私は、職員に言いました。「30歳の頃、両親から将来は姉夫婦に面倒を見てもらうから相続放棄をしてほしいと言われ、署名・捺印をしました。ですので、相続税は姉が支払うことになっています」。すると「お姉さんの住所と電話番号を教えていただけますか」と職員。「姉とは縁を切っていますし、どこに住んでいるのかも知りません。そちらで調べてください」と言った後「母親は生存しているのですか?」と尋ねたところ、「お母様は1年前に亡くなられています」という返事が返ってきたのです。
電話を切るなり、私の目からとめどもなく涙が溢れてきました。両親が他界したことを知らなかったのですから、もちろん葬儀にも出席していません。縁を切られていたとしても、もっと早く電話の1本でも入れておくべきだったと自責の念にかられました。何と親不孝な息子なのだ。自分を責めて悔やんで嘆くことしかできませんでした。
高齢だった両親のことは、いつも気にはしていましたが、私自身、這い上がることで精一杯で、両親に対する思いが欠けていたのかもしれません。そのことは今でも後悔し続けています。元気になった私の姿を見せてあげたいという思いはあるものの、結局自分中心でしかなかったのでしょう。今の私にできることは、天国の両親に自慢の息子だと思って貰えるような行ないをすることです。
(次週に続く)
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