会社経営者だった岸田さんは
多額の持ち逃げに遭い、会社は倒産。
伴侶にも逃げられ、ホームレス生活を送り、
自殺一歩手前まで追い詰められたといいます。
現在は悩める経営者の支援と社会貢献に生きがいを見出す岸田さんが、
ホームレス生活から立ち直るまでと
「運とご縁の引き寄せ方」を赤裸々に語っていきます――。
家族との別離
社員による持ち逃げ詐欺が発覚した数日後のことです。私は疲労困憊した状態で、ようやく帰宅しました。すると玄関には次女が鬼の形相で立っていました。「お母さんを悲しませてどう思っているの! たった3年で本当のお父さんになれたと思わないで!」。娘の氷のような冷たい言葉……。結婚してちょうど3年が経っていましたが、実の娘として接してきたつもりの次女からこんな言葉を浴びせられるなんて。
自分の家なのに入れてもらえなくて、その夜は仕方なく西宮市内のビジネスホテルに宿泊。翌日、奈良県の実家に行きました。父と母は、何があったのか分からずとまどっていましたが、事情を話すと「しばらく、ここで休みなさい」と言ってくれました。それから実家から職場に通っていましたが、ある日、妻から「会って話がしたい」と電話がありました。
待ち合わせのカフェに出向くと、久しぶりに見る妻の顔は疲れ果てていました。「申し訳ないことをした」というのがその時の私の気持ちです。妻にあやまり、これからなんとか一緒にやっていこうという話をしようとした矢先、いきなり離婚届を突き付けられました。私はなんとか妻を説得しようと、離婚届に捺印することを拒否したのですが、妻はこんなふうに言いました。「私のところにまで債権者が来ると嫌だし、離婚はするけれども、あなたが立ち直ったらまた一緒に暮らしたい」。私は妻や娘たちに迷惑をかけたくなかったので、その言葉を信じて離婚届に捺印しました。私が原因で妻にもつらい思いをさせてしまったと、心から反省をしながら。
その夜、私は、とぼとぼと奈良の実家へ向かいました。時間を見ようとしたら腕時計が止まっています。私の誕生日に妻と娘がプレゼントしてくれた大切な腕時計です。“全てが終わった”という通告を受けたような気がしました。しかし、私は「立ち直ったらまた一緒に住もう」という妻の言葉をたよりに、不吉な予感を必死でかき消していました。
その数日後、着替えなどを送ってもらいたくて妻に電話をしました。しかし、聞こえてくるのは「この電話番号は現在、使われておりません」というアナウンス。自宅の電話も娘たちの携帯もファックスも同じメッセージが流れてきます。全ての電話番号が変えられていたのです。
急いで苦楽園口の自宅に行くと、家の鍵が換えられていて、中に入ることができません。そこで初めて気付いたのです。妻がカフェで言っていた話は、離婚届に捺印させるための口実だったのではないかと。“金の切れ目が縁の切れ目”だったのだと。私はしかたなくまた実家に帰ったのでした。
その2日後、私のもとに妻から荷物が届きました。私の服や私物でした。全てを終わりにして妻はけじめをつけたかったのでしょう。私は妻を恨みました。債権者から身を守るための離婚ではなく、金のない私を捨てる離婚であり、一緒にやり直そうという私の思いを裏切る離婚としか考えられませんでした。連絡方法も立たれ、妻との最後の話し合いもできず、家族がどこに住んでいるのかもわかりません。いや、もう家族ですらなくなっていました。私が築き上げたと思っていた幸せな生活は、たった一枚の紙で終わってしまったのでした。
(次週に続く)
岸田さんのブログ