その報いは来ないだろうと思って、
悪を軽んじてはいけない。
水が一滴ずつしたたり落ちるならば、水瓶を満たす。
愚かなものが、
些細な悪を積み重ねるならば、やがて悪を満たす。
悪を積むならば、
やがてわざわいに満たされる。
「ダンマパダ」(121)
たとえば、強盗や殺人などの犯罪が発生すると、世の中は大騒ぎになります。しかし、事件という結果だけを見て、あれこれと議論をしても問題解決のいとぐちは見つかりません。ニュースになるような犯罪の多くは、一人ひとりの日々の生き方に原因があるからです。
わたしたちは、「小さな悪いこと」をいくらでもしています。毎日やっている小さな悪いことを放置しておくと、やがて大きな殺人や盗みという結果に結びつくかもしれません。
小さなことをいい加減にしていると、大きな罪も平気で犯してしまうようになります。だから、日々行なっている小さな過ちにこそ、目を向けなければなりません。「悪いこと」は、どんな小さなことでも、たとえ一回であっても、けっして行なわないと心に決めるべきなのです。どんな小さなことでも、それを行なってしまうと、やがて癖になって心が汚れてしまいます。
仏教には「戒律」があります。戒律を守ることが仏教者の基本です。戒律というものは、悪から遠ざかって、よい習慣をつけるためのものです。心を清らかにすることを目的としています。
「盗むなかれ」という仏教の戒めは、糸一本でも他人のものを盗ってはいけないのです。「これくらいなら、平気だろう」という心でいると、大きな悪でも「これくらいなら、いいや」という気持ちになってしまいます。「百円くらいなら盗んでも平気だろう」と思う人は、会社のお金をごまかして数千万円もの大金を盗んでも平気になってしまいます。
小さな嘘をつく人も同様です。「嘘をつくのは仕方がないときもある。嘘も方便だ」などと例外をつくります。
人間というものは一つ例外をつくると、どんどんと都合のいいように解釈していきます。「敵ならばいい。悪人ならばいい。自分の生命を守るためには、他人を殺しても構わない」というように、どんどんとエスカレートしていきます。例外をつくることで、すべてを台無しにしてしまいます。
たとえ自分が殺されるようなときでさえも、けっして相手を殺してはならない、とお釈迦さまは説かれています。悪いことにけっして例外をつくってはいけないのです。
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「ダンマパダ」とは、「真理のことば」という意味です。わたしは「お釈迦さまのことばにいちばん近い経典」と言われるパーリ語の「ダンマパダ」を日本語に直訳し、一人でも多くの人にお釈迦さまの教えを伝えたい、と願っています。
お釈迦さまの教えを「一日一話」というかたちでまとめ、それぞれにわたしの説法を添えました。大切なことは、お釈迦さまの教えを少しずつでも実践することです。そうすれば、人生の悩みや苦しみを乗り越えていくことができるでしょう。
アルボムッレ・スマナサーラ
バックナンバー「 原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話」