後悔する羽目になる行為は、しないほうがよい。
その報いを受けて、涙を流して泣くだろう。
「ダンマパダ」(67)
後悔する羽目にならない行為は、進んで行なったほうがよい。その報いを受けて幸せになるだろう。
「ダンマパダ」(68)
まず「よいこと」について考えてみましょう。それは何事であれ「後悔しないで、嬉しく喜んで、その報いを受ける」ことだ、とお釈迦さまは教えています。自分には喜びであっても、他人に迷惑をかけるのは、よいことではありません。また他人には喜びであっても、自分が苦しむのも、よいことではありません。「よいこと」とは、「自分が喜び、他人も喜ぶ」行ないです。そして、「あとで後悔しない」ことです。
「悪いこと」とは、「自分が苦しみ、他人も苦しむ」ことです。そして「あとで後悔する」のです。だから行動を起こす前に、その行動によって、わずかでもあとで後悔することになると思うならば、そういう行動はやめましょう。結果もよくて、あとで思いだしたときもよかったと思える行動をすることです。「よいこと」をすれば、「よい結果」がでます。これには例外がありません。「そこそこの結果」しかないというのは、「そこそこのこと」しかしていないからです。
よい結果を得るために、よいことをしようとする人がいます。それは、取引や投資のようなものです。よい結果がでなければ、そういう人は不満や怒りがでて心は汚れていきます。よいことをする目的は、よい結果を得るためではなく「心を浄めるため」なのです。
そのためには、スポーツの選手のように、毎日毎日、休まずに訓練しなければ身につきません。ちょっとでも休むと後退してしまうからです。まず、「よいことをしよう」と心に決めることです。そうすると、よいことをする機会は、いつどこにでもあることがわかります。電車に乗っていて、座っている自分の目の前にお年寄りがいたら席を譲ることができます。でも、わざとらしくすると、されたほうは気持ちがよくありません。なんの意識もせずすっと立てば、気持ちよく座ってもらえるのです。なんのこともなく、普通に自然にさっと、よいことができるようになればいいのです。
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「ダンマパダ」とは、「真理のことば」という意味です。わたしは「お釈迦さまのことばにいちばん近い経典」と言われるパーリ語の「ダンマパダ」を日本語に直訳し、一人でも多くの人にお釈迦さまの教えを伝えたい、と願っています。
お釈迦さまの教えを「一日一話」というかたちでまとめ、それぞれにわたしの説法を添えました。大切なことは、お釈迦さまの教えを少しずつでも実践することです。そうすれば、人生の悩みや苦しみを乗り越えていくことができるでしょう。
アルボムッレ・スマナサーラ
バックナンバー「 原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話」