真理を喜ぶ人は、
澄んだ心で清らかに暮らす。
聖者の説いた真理を、
賢者はつねに楽しむ。
「ダンマパダ」(79)
あらゆる宗教は、創造主とか神さまとか霊魂といった概念をもちだします。あるいは、浄土とか天国とか、形而上学的な雲の上の理想的な別世界を描きます。ところがそれが正しいかどうか、人間にはわからないのです。そのような形而上学的なことよりも、わたし自身が平和であるためにはどうしたらいいのか、ということが問題なのです。
その「わたし」というのは「今、ここのわたし」です。昨日の自分はいないし、明日の自分はまだあらわれてはいません。だから心配すべきは「今の自分」なのです。
過去をもち運んでいると悩み苦しむことになります。未来を思うと不安と混乱で苦しむことになります。でも「今の自分」は真理とともに、ここに存在します。だから「今、ここの自分」はどういうものかと、しっかり観察していくと、心は見事に清らかになって安らぎを得られます。
真理というのは時間と空間を超えた「どこか別のところ」に、実体として存在するわけではありません。時間軸でいうと、存在するのはつねに「今の瞬間」だけなのです。空間軸では、「ここ」です。そうすると、真理とはつねに「今、ここ」にあるのです。「今、ここ」をありのままに観るところに真理があるわけです。「今、ここ」の自分自身を離れて、「宇宙の真理とはなにか」「仏とはなにか」などと延々と論じても意味がないのです。そのような論議は、生き方とはまったく関係ないことであり、それによって心が清らかになるわけではありません。
多くの宗教は、宇宙の根本原理とか創造主としての神のような、具体的・現実的にはとらえることのできない観念を信じるところから始まります。仏教でいう「信」とは、なにかをやみくもに信じるというような「信仰」ではありません。事実の具体的な観察によって得られる深い理解なのです。いわば「確信」ともいうべきものです。
お釈迦さまは、「真理であるのなら、だれもが実践できることでなくてはならない」と説かれました。お釈迦さまの教えは、たとえ信じていなくても、みずから実践してみれば実感としてわかってくるものです。そのすばらしいところは、実践するだけであらゆる問題は解消していくことです。だから、実践してみずからがたしかめていけばいいのです。
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「ダンマパダ」とは、「真理のことば」という意味です。わたしは「お釈迦さまのことばにいちばん近い経典」と言われるパーリ語の「ダンマパダ」を日本語に直訳し、一人でも多くの人にお釈迦さまの教えを伝えたい、と願っています。
お釈迦さまの教えを「一日一話」というかたちでまとめ、それぞれにわたしの説法を添えました。大切なことは、お釈迦さまの教えを少しずつでも実践することです。そうすれば、人生の悩みや苦しみを乗り越えていくことができるでしょう。
アルボムッレ・スマナサーラ
バックナンバー「 原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話」